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市川猿之助の母が起こしていた“ご近所トラブル” 私道沿いのアパートの入り口を塀で塞ぎ裁判沙汰に 「自ら命を絶つとは思えない」 [ネギうどん★]
市川猿之助の母が起こしていた“ご近所トラブル”、住人同士で裁判も「自ら命を絶つとは思えない」
(出典:週刊女性PRIME) |
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:2023/05/30(火) 10:03:29.88ID:yzEDv1jM9猿之助一家は長年にわたり、近所とトラブルを抱えていたようだ。
「猿之助さんの家は、住宅街の奥まったところにあり、たどり着くには、周辺の住民が共同で管理する私道を通らないといけないんです。’87年にその私道沿いの一角にアパートが建てられたのですが、それによって私道を通る人が増えるのを猿之助さん一家や一部の住民が嫌がって結託。アパートの完成前日に、私道の隅々まで高い塀を造って、アパートの入り口を塀で塞いでしまったそうです」(同・延子さんの友人)
この一件は住民同士の裁判沙汰に発展。結局、アパートの出入り口になる塀の箇所にドアを設置することで決着したというが、猿之助一家は近所と没交渉に。長らく冷戦状態が続いたが、今年2月、36年ぶりに“雪解け”の兆しが見えたという。
「猿之助さん一家が造った塀と自宅の外壁の建て替え工事をすることになったと、延子さんが近所に挨拶回りをしたそうです。あの気が強い延子さんが自分から頭を下げてきた、と噂になりました。ただ挨拶回りと一緒に“塀にある、アパートに入るためのドアがいつも開けっ放しになっている”と愚痴もこぼしていたようで。塀の工事と同時にドアには“開放厳禁”と書かれた張り紙もされるようになりました。アグレッシブで憎めない人ではありましたね。そんな人ですから、自ら命を絶つとは到底思えないんですよ」(近所の住民)
真相は今後の取り調べで明らかになるとしても、澤瀉屋が危機に陥っているのには変わりはない。
「猿之助さんは澤瀉屋だけでなく、歌舞伎界を牽引する存在という自負から尊大な面がありました。報道によれば、團子さんが歌舞伎界入りする直前の’12年3月、猿之助さんは後援者を招いて開いた食事会で、出席者から“将来は團子に猿之助を継がせるのか”と質問された際に“決まってない。ボンクラだったら止め名にしちゃう”と語っていたと言います。
5月28日に千穐楽を迎えた明治座での猿之助さんが主演だった舞台で、その團子さんが、代役を務めて高評価を得たのですから皮肉です」(歌舞伎関係者)
“止め名”とは、二度と使われないことになった名跡のこと。偉大すぎて継ぐ者がいない場合もあるが、縁起が悪くて使われなくなることもある。
「市川團十郎も初代は弟子による刺殺、八代目も自殺と不幸に見舞われていますが、現在も名跡は続いています。今後、猿之助という名前がどのように扱われるかは、世間の受け取り方と、次に継ぐ役者の努力次第でしょうね」(同・歌舞伎関係者)
猿之助の選択は、未来の猿之助の存続の危機を招いてしまった。
「猿之助さんの代役を立派に務めたことで、團子さんが将来、澤瀉屋を背負って立つ器であると多くの人が認めておりますが、彼はまだ19歳。大名跡を継ぐには若すぎます。加えて澤瀉屋の象徴とも言える猿之助という名前のブランド価値は下落しましたし、團子さんの今後は苦難の連続でしょう。
打開策としては、澤瀉屋と共演の多い高麗屋の松本幸四郎さんのもとで、市川染五郎さんと一緒に修業するなどして修練を続けるのが望ましいですね。そうすれば同世代で18歳の市川染五郎さんとのコンビでの活躍も期待できます」(同・歌舞伎関係者)
澤瀉屋の未来は猿之助の語る真相と、團子の成長にかかっているようだ。
全文はソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/6887be0eee9b3ed6ed76d7c7430c6d489c86af85?page=2