戦後日本の根幹たる加工貿易の第一歩となったブリキ工業

戦後日本の根幹たる加工貿易の第一歩となったブリキ工業

戦後日本の根幹たる加工貿易の第一歩となったブリキ工業

信じられないが、本当だ!! Part187
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119 :名無し三等兵 :2023/01/02(月) 12:51:32.21 ID:5UouKKgC0
缶詰はナポレオンが保存食を欲して作られたものであるが、最初はフタをはんだ付けしていたので、長い間缶詰で暮らす軍人は鉛中毒で衰弱していくのが常だった。

また品質管理が疎かで悪徳業者も多く、戦地で開けてみたら中身が土や石という惨事もしばしばあったという。鉛入りでも腹は膨れるが、敵地で食べ物と思ったら石だったというショックたるや想像もつかない。

だとしても缶詰は重要な物資で、戦後の日本では上は天皇陛下から下は浮浪者まで進駐軍の缶詰で飢えをしのいだのであるが、缶詰は食べれば空き缶が出る。進駐軍キャンプから山積みの空き缶が仕入れられるものの、空き缶は嵩張る割に目方がなく、しかもブリキなので屑金としての価値は意外に低い。

そこで知恵者が考えて、切り取って一枚板に延ばして加工し直すブリキ工業が興り、戦後日本の根幹たる加工貿易の第一歩となったのだった。なので今や同量の純金より高価なブリキのおもちゃは多くが日本製である。父親が日本で食べたゴミが息子のおもちゃになったのだ。

だが敗戦国の悲しさで「made in japan」は許されず、多くは「made in occupied japan」と刻印されている

120 :名無し三等兵 :2023/01/02(月) 14:14:58.89 ID:TvUHAk2Y0
>>119
当時は「占領下(あるいは連合国軍総司令部の統治下)の日本」だからね。独立を回復してない以上は仕方ない。

130 :名無し三等兵 :2023/01/03(火) 00:23:03.76 ID:9OIUtv0Za
>>119
ブリキの玩具で思い出した。
戦中、兵士が持つ携行品に握りこむことで弾み車を回して発電する懐中電灯ほたるがあった。
外装は金属板のプレスをカシメて固定してある。
戦後のオモチャに引き金を引くとチカチカ光る光線銃があったが、これは元々ほたるの製造業者が関わったのでは?と思うのだが。
動作と製法が一緒なので。
憶測で書いて申し訳ないが、ご存知の方がおられたら補足願いたい。

131 :名無し三等兵 :2023/01/03(火) 09:52:09.29 ID:GQMIy8uM0
火花が出る光線銃は100円ライターみたいな構造だったような
はずみ車を火打ち石に当てて火花がでるの
違うやつかもしれんけど

132 :名無し三等兵 :2023/01/03(火) 14:43:22.26 ID:Of336nHX0
懐かしい…(昭和40年代生まれ)

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