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ハートのアン・ウィルソン 起死回生のヒット作『Heart』の制作舞台裏を語る 「悪魔の取引のようなものだった」
1: 湛然 ★ 2023/05/09(火) 06:13:29.24 ID:j4d4cSFi9ハートのアン・ウィルソン 起死回生のヒット作『Heart』の制作舞台裏を語る 「悪魔の取引のようなものだった」
2023/05/07 19:13掲載 amass
https://amass.jp/166541/ハート(Heart)は1985年、初めて外部のソングライターを迎えてアルバム『Heart』をリリース。このアルバムは大成功を収め、数百万枚を売り上げ、4曲のヒットシングルも生み、商業的に低迷期に入っていたバンドの起死回生のヒット作となりました。メンバーであるシンガーのアン・ウィルソン(Ann Wilson)はClassic Rock誌のインタビューの中で、制作の舞台裏を振り返っています。「1984年にバンドの大きなメンバー変更とマネジメントの交代があって、私たちはビーチに流れ着いたようなものだった。すべてを変えた。ナンシー(ウィルソン)と私は、本能的に一つの時代の終わりが来たと感じていた。それで新しいベーシストとドラマー(マーク・アンデスとデニー・カーマッシ)を迎えて、ハワード・リースはそのまま残った。
私たちは本当に変化しているときだったので、バンド内の雰囲気は期待していたほどではなかった。ちょうど改革しようとしていた時期で、ちょっとカオスな状態だった。私たちと契約したキャピトルのドン・グリアソンは熱意は持っていたけど、ヒット作を作らなければ、レコード契約を結べない可能性があることはわかっていた。
彼は、私たちがまだ考えてもいなかったバンドのビジョンを持っていた。私たちは当時、ただそこで、田舎でコンサートをこなすだけだった。新しい映像の世界や曲作りの世界を形成していた文化の中心地ではなく、私たちは郊外にいた。ドンとキャピトルは、私たちがまだ想像もつかないようなことを想像していた。
それまで自分たちがすべて書いていたので、ナンシーと私は(外部のソングライターを起用することが)自分たちにとって良いことだと理解するまでに、何度も大きな打撃を受けた。私たちが書いていた曲はラジオで受け入れられるようなものではなかった。アルバム『Heart』のために検討された曲の山に私たちは自分たちの曲を提出し続けた。たぶん、そのうちの60%はナンシーと私が書いた曲だったけど、使われたのは40%だった。ナンシーと私が主導権を握っていると思われているかもしれないけど、当時はそうではなかった、おかしな話だけど。
それがもたらした成功はとても嬉しかったけど、辛かった。自分たちが長年働いて、曲をすべて書いてきたのに、他の人の曲でナンバーワンを獲得してしまったという事実には、本当に違和感があった。それは悪魔の取引のようなものだった。でも、誰かが私たちの手を縛ってやらせたと嘘をつくつもりはない。私たちは自由意志でそれをした。ただ、後になって、それが期待されるようになった時、本当に“もういいや、これで”と思った。
あの頃の80年代は、極めて自己中心的で野心的な時代で、ヒステリックで必死で“必要なことはとにかく何でもやるんだ”という姿勢があった。レコード会社もそうだった。私たちもそれを持つように勧められ、実際に持つようになった。その目標を達成するために、私たちはいろいろなことをした。他人の歌を歌うこと、他人の歌を解釈することに慣れるのに時間がかかった。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
●Heart – These Dreams
https://www.youtube.com/watch?v=41P8UxneDJE
ネットの反応
同時期のエアロスミスも全く同様の事例
ボン・ジョヴィもデズモンドチャイルドとの共作がなかったら大ブレイクは無かったかも
この頃のギターの妹はめちゃくちゃ可愛いんだよな
愛していたい(All I Wanna Do Is Make Love To You)が好きだった。
あれもjust the two~進行に近いね
ラジオ必勝法が編み出された時代
元サイケバンドのジェファーソンエアプレインが名前変えて「シスコはロック・シティ」なんて
昔を知ってたらひっくり返るようなポップシングル出したり
ハードロックやってたREスピードワゴンもポップスバンドに変わったりなんでもアリだった
イメチェンいうたらジェファーソンエアプレインが最初にくるよな。あと、イエスとかジェネシスとかサイケやプログレなんて小難しいことやってた連中が一斉にポップバンドに変わってビックリした。
80年代のシカゴもそうやろ
歌詞はエルトンジョンでおなじみのバーニー・トーピンだけど
結構内容的には骨のある方じゃない?
ヒッピー文化の最先端だった人が一応やってるということで
浮かれてるだけじゃない曲となった
AORのTOTOがノリノリのポップロック始めたり
ハートが初のNo.1を取った曲
しかしナンシーがこの曲にたいそう惚れ込んだのも事実
ロバート・プラントの前で天国への階段
ドラムは故ジョン・ボーナムの息子
レッド・ツェッペリンTribute
https://youtu.be/2cZ_EFAmj08
片方が「こんなモンキーズみたいな曲」とかくさしてた記憶
確かにモンキーズみたいだったなw
Aloneは良い曲なんだけどカバーなのがちょっとモヤモヤする
80年代はどれもキャッチーなサビ前提な曲調だったな
ヒッツのオンパレード
ボンジョビの大ヒットで速攻キッスがデズモンドチャイルドと組んだがコケたよなw
キッスは以前からデズモンドと組んでて
ボンジョビに紹介したのもキッス
I Was Made For Lovin’ Youとか
デズモンドさんの名前もクレジットされてるもんな
男とか女とか関係なくHeartはカッコイイな
バッドラブとか当時はそれなりにかっこいい曲とか思ってたけど
レイラとか他なんとかを80年代風に再構成して
かなり無理してたんだなと今ならわかる
デビューからあんなに金かけたら
違和感以外ないわ
レディーガガも前にこんな事言ってたし
いくら楽曲のセンスが良くても時代にそぐわないと相手にされないし
90年代だとジョーとかブライアンマックナイトとか自作で良い曲を作れるにもかかわらず人の作ったいかにも当時の売れセン的なhiphopR&Bをやらされてたよね
大量生産工業品みたいな音楽が多いな
そういう安物のダンス・ミュージックや産業ロック嫌いじゃないけどね
みんな知るようになったのは、バラクーダだろうし
結局時代に迎合して売れたもん勝ちなんだよな~
オリジナルはITenだよね
グループとしては全然売れなかったけどライティングチームになって
マドンナのライクアヴァージン、シンディのトゥルーカラーズ、
バングルスのエターナルフレーム書いた人達だ
バングルス懐かしい
エターナルフレームのスザンナ・ホフスの可愛い歌声に惚れたわ
Heart – All I Wanna Do Is Make Love To You
https://youtu.be/OAfxs0IDeMs
この曲も…アン・ウィルソン曰く
>本当のことを言えば、この曲はこういうのは好まない曲っていう代表曲のようなものなの。
>(私たちの曲じゃなくて)”Mutt” Langeの曲なのよ。
>彼のことはメンバーももちろん好きなんだけどね。
>もとはドン・ヘンリー(イーグルス)のために書いたものだから>この曲を演奏するのは私たちにもプレッシャーがあったわよ。
行きずりのせっくす(かつ不倫?)の内容で葛藤があったみたい…
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1683580409/