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小泉今日子 80年代アイドルはつらいよ!?「メイクも髪も自分」「この間これ着たから、次は…」
1: 湛然 ★ 2023/04/18(火) 06:01:51.06 ID:8KSMdEIb9小泉今日子 80年代アイドルはつらいよ!?「メイクも髪も自分」「この間これ着たから、次は…」
[ 2023年4月17日 22:57 ] スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/17/kiji/20230417s00041000604000c.html
女優の小泉今日子 Photo By スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/17/jpeg/20230417s00041000502000p_view.webp女優で歌手の小泉今日子(57)が17日、ニッポン放送「小泉今日子のオールナイトニッポンPremium」(後7・00)に出演し、アイドル時代の苦労話を語った。
1980年代をともにアイドルとして過ごした、女優の芳本美代子(54)をゲストに迎え、当時の思い出に花を咲かせた。公開録音などのイベントによく行っていたというリスナーからメールが届くと、小泉は「サインいっぱい書いて、握手いっぱいして…」と振り返った。
芳本が「サイン、どうにかならないか?というくらい書きましたね」と続くと、小泉も家に無地の色紙が大量に届いた思い出を語った。1パック500枚ほど入った色紙が届き、「家に4つくらいドンと置かれて、“週末に使うから”って」。必死になって書いていると、「インクのにおいで、ホワ~ってなっちゃうくらいの。苦労してたんですの」と、インクのにおいで頭がぼーっとした経験も告白した。
衣装もスタッフではなく、自分たちの手持ちだったという。「アイロンとかも、人によっては女の人が付き人というかマネジャーが付いていて、その人がやってくれていたけど、私たちとかは自分でやらなきゃいけない」。さらに「クルクルのドライヤーとスチームのアイロンと。絶対、必需品だよね?」と芳本と確認し合った
当時はメイクやスタイリングも、一任されていたという。「メイクも自分でやってたし、髪も自分でセットして、アイロンして…。ストッキングの補充とか自分でね」。事務所スタッフは男性だったようで、「特に女性アイドルは男性マネジャーが(楽屋に)入れるわけじゃないから、全部自分でやってるの」とも明かした。
曲を出すごとに、事務所が曲衣装を作ってくれていたという。しかし、その管理も自分たちの役割。「2着とか3着を会社が作ってくれて、それを自分で管理して。自分で考えるんだよね。“この間の生放送でこれ着たから、次はこっちにしよう”とかね。ちゃんと労働だったよね」。セルフマネジメントの側面を担っていたことも打ち明けた。
そんな中で救われたのは、ファンの愛情だったという。「ファンの方が衣装のケースを作ってくれたり、似顔絵とか名前が書いてあったり。あんな大変な思いで作ってくれたとか」と感謝していた。
(おわり)
ネットの反応
キョン×2(キョンツー)、Kyon2
「まっ赤な女の子」 発表から30年を経て実現するという奇跡
シンナーが身近にあった元ヤンならではの視点やね
最近若い世代に大物アイドルと印象操作させてる感のある静香を一喝して欲しい
それであんな薄かったのかな?
それできれいに見えるんだからすごいけどな。
服に関しては今のアイドルもなんか一着作ってあとはずっと季節が変わるまで
同じの使ってるよなぁ
今のアイドルは大所帯のグループだから1人一着なのも仕方ないわ
4番手枠も桃子、岡田有希子、中山美穂あたりと競争激しかったな。
活動家なのに
もっと曲をかけて欲しかった
思春期を過ぎても嵌ってる人間は知能が足りない
と言ってた人がいたなあ
その頃の話だろ。
テレビとかの衣装は事務所側外国用意するけど握手会とかは自前なんでしょ
10年前はまだまだ綺麗だった
ある日ふと気付くことは確実にないので最高の広告塔
吉本美代子がステージやって控え室にバイト仲間の女の子と差し入れとか持ってったりしてスタッフの人も交えて普通に喋って一緒に写真撮ったりサインしてもらった
アイドルなのにスタッフのガード厳しくなかったし普通の女の子だった
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1681765311/