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“慰安婦問題”を追及する韓国に刺さった、「ベトナム人虐殺」問題 韓国では、まったくと言っていいほど教育されていない
4月5日、韓国でとある“事件”が報じられた。韓国の情報機関である国家情報院(以下、国情院)が、韓国最高裁判所の判決を「事実上拒否した」ともとれる対応を見せたのだ。すべての始まりは、今から50年以上も前のベトナム戦争にて、韓国軍が民間のベトナム人をむごたらしく虐殺したことである。
【写真】日本人は知らない…いま韓国で本当に起きている「ヤバすぎる事態」
韓国軍による悲惨な虐殺
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フォンニィ・フォンニャット虐殺、タイヴィン虐殺、ゴダイ虐殺、ハミ虐殺、ロンビン虐殺…。
韓国軍によるベトナム人虐殺と暴行の被害者は、判明しているだけで30万人いると言われている。なかでも青龍部隊(チョンリョン)と猛虎(メンホ)部隊の2つは、冷酷無比な殺人者集団の“鬼畜部隊”とされている。韓国政府を相手取って訴訟を起こしたグエン・ティ・タン氏の村を襲ったのは、前者の青龍部隊だった。
タン氏が被害に遭ったのが、「フォンニィ・フォンニャット事件」だ。1968年2月12日、南ベトナムのクアンナム省ディエンバン市(当時ディエンバン県)のフォンニィ・フォン二ャット村で、大韓民国海兵隊第2海兵旅団(青龍部隊)によって住民70余名が殺害された事件である。同日の早朝、韓国軍の戦車が幹線道路で地雷を踏んで爆発したため、近くにあった同村を攻撃したとされる。
この事件でタン氏は韓国軍の銃撃を受けて負傷したが、なんとか一命を取り留めた。しかし撃たれた腹部に傷跡が残ったうえ左耳も聞こえなり、被害から50年経ったいまでも後遺症に悩まされているという。また、彼女の兄も銃で撃たれて重傷を負い、母親と弟は殺害された。
被害者が勝訴したものの…
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2017年8月、虐殺の生存者であるタン氏の代理人団は、国情院に対して情報公開請求を行った。「1969年11月、中央情報部(現在の国情院)が青龍部隊1大隊1中隊の3人の小隊長を調査した際の、報告書や尋問調書といった文書のリスト」の公開を求めたが、国情院が拒否したことで、同年11月に訴訟へと移行した。
1審と2審ではタン氏側が勝訴し、情報公開は正当という判決が下されている。しかし国情院は「当該資料が公開されると、国の重大な利益を著しく害する恐れがある」「調査当事者のプライバシーが侵害される可能性がある」などと理由を述べて、公開を拒否してきた。
3月25日、最終審の最高裁判所は「韓国政府が虐殺事件の関係者を調査したか否か、といった歴史的な事実を確かめるために必要な史料であり、公開するだけの価値があると認められる」と判断し、上告を棄却。タン氏側がの請求を認めて、国情院に対して情報公開を求める判決を下した。
最高裁の確定判決を受けたタン氏と代理人は、3年8ヵ月法廷闘争を経て、ようやく資料が公開されると安堵したという。だが4月5日、開示された資料に書かれていたのは、次のたった15文字だった。
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チェ・ヨンオン(釜山)、イ・サンウ(江原)、イ・ギドン(ソウル)
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公開されたのは、ベトナム戦争に参戦した韓国軍青龍部隊の小隊長3名の名前と、調査当時に彼らが住んでいた場所だけである。3名の生年月日などは非公開とされた。
こんな情報だけではとうてい虐殺に関する歴史的事実を確認できず、事実上の「公開拒否」に等しい。タン氏の代理人団は真相究明に向けて、国情院が持つ関連記録の公開を要求した。
しかし、国情院の回答は「情報公開訴訟の判決を受けて、すでにグエン・ティ・タン氏側の訴訟代理人に提供した」「追加の事項は、公共機関の情報公開に関する法律で定められた手続きに則って処理すべきと考えており、(現段階では)送付できない」というものだった。
代理人団は「国家機関であるにもかかわらず、国情院は真実を明らかにできる情報をなぜ隠しているのか?」「今回の裁判所の要請に対して、これ以上情報が欲しければあらためて公開を請求しろというのは、まともな対応ではない。たとえ請求したとしても、今回のような方法で時間を稼ぐ可能性が高い」と指摘している。
仮に国情院の言う通り再び公開を求めて提訴したとしても、タン氏側が勝訴して情報が開示されるまでには、おそらく数年がかかるだろう。
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(略)
ヤフーニュース(現代ビジネス)
https://news.yahoo.co.jp/articles/7764cfabf9d4397ff4fd590b93579917d89e4c2c