【現代ビジネス】 北朝鮮に「23歳で送られた男」の告白…日本で憧れた「地上の楽園」に渡るまでの壮絶すぎる半生

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【現代ビジネス】 北朝鮮に「23歳で送られた男」の告白…日本で憧れた「地上の楽園」に渡るまでの壮絶すぎる半生

1: 仮面ウニダー ★ 2023/03/10(金) 14:36:14.69 ID:PMSROlwJ
ー前略ー

「無償治療」に「無料教育」と…

 資本主義の矛盾、社会主義の優越性、誰もが幸せに暮らせる平等な社会、「千里馬」運動、大躍進する朝鮮、「無償治療」、「無料教育」など、「地上の楽園」に憧れる心が、日増しに強くなっていった。

 こうしてキム・チェク氏は、不公平な社会に対する不満と、社会主義とマルクスの共産理論に憧れ、ソ連留学を夢見て、「世界革命」という大きな抱負を抱いて、北への送還を決心したのだった。

 1959年12月に最初の「北朝鮮帰還船」が出航し、約1年が過ぎた1961年には、北朝鮮について、あちらこちらから色々怪しげなうわさが立つようになった。
だが、信念を貫く強靭な心を持つ彼は、うわさはあくまでもうわさとみなし、「帰国宣伝」の広告塔として先頭に立った。彼を通じて、数多くの在日同胞が、北へ送還されたのだった。

 このとき、朝鮮総連の人間が模範となり、率先して帰国しなければならないという指示が伝わってきた。
キム・チェク氏も、切望した北への送還を決心することになったのだが、「万が一怪しいうわさが本当だったらどうする? うわさが本当なら、ソ連に逃げよう!
世界革命の発信地であるソ連に行って、社会主義革命にこの身を捧げよう」と、心に決めたのであった。

 そうして、「地上の楽園」の広告塔として、幾多の在日同胞を「北へ送還」させてきた、自分自身も、第25次帰国団の青年団長として、「帰国」することになったのだった。

「審査」から「帰国」まで

 「北への送還」から63年が経ったが、北への送還事業に関心を持つ、人権活動家、北朝鮮専門家は、いまだに数多くいる。

 当時、20歳以上の大人に限っては、最後の帰国審査を行ってから北へ送還させたのだから、人道主義的であったということに対して、
現在では反対に、北朝鮮と朝鮮総連の宣伝によって北へ送還させたのだから、非人道主義的であり、詐欺であると叫ばれている。

 当時23歳だったキム・チェク氏のおぼろげな記憶によると、「帰国審査」室には、日本および国際赤十字社の審査員や、記録係など、数多くの人たちがいたということだ。

 うわさによれば、審査過程で、帰国しないと言い出して大騒ぎが起きたこともあるという話だったが、
キム・チェク氏によれば、少なくとも自身が帰国するときまでは、そんな奇跡的な事件は、一度たりとも起こらなかったという。

 また、朝鮮総連からの注意事項で、食べ物は伝染病の可能性があるので制限したという話はあったが、強制的に食べ物を集めて海に捨てたというようなこともなかったという。

 63年前、第52次北朝鮮帰還船に乗った23歳の青年団長キム・チェク氏は、甲板で両手を広げ、冷たい風を受けながら、近づく世界革命を夢見て、2泊3日の旅程を終えたのだった。

 これは、歴史的にいろいろと問題を残した、93,340人の北への送還における、ある特別な物語のひとつである。

李 泰炅(脱北者)

全文はソースから

現代ビジネス 3/10(金) 7:33配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c2528808533410e2b818e877bd25d710e4beea1


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