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今日3月5日は『ミスコンの日』
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1908年(明治41年)3月5日、時事新報社が全国から「良家の淑女」を対象に写真を募集し、その審査結果を公表した。
これが日本初のミス・コンテスト(ミスコン)となった。 淑女(しゅくじょ)とは、しとやかで上品な、品格の高い女性。
記念日は「ミス・コンテストの日」とも表記される。 上記のコンテストは「世界美人コンクール」の日本予選として実施されたものだった。
1等賞に選出されたのは福岡県小倉市長・末弘直方の四女・ヒロ子(当時16歳)で、学習院女子部3年に在学中だった。
彼女の兄が本人の承諾なしに応募したものだったが、コンテスト参加は学習院で大問題となり、彼女は退学処分になってしまった。
日本初のミス・コンテストは1891年(明治24年)の「東京百美人」とする説もある。
これは東京・浅草にあった凌雲閣の運営会社が集客のために企画し、芸者約100人の写真を階段の壁に貼り、来場者に投票してもらう形式だった。