“天才”武藤敬司 38年4カ月のキャリアに終止符 内藤哲也とのラストマッチで散る

“天才”武藤敬司 38年4カ月のキャリアに終止符 内藤哲也とのラストマッチで散る

“天才”武藤敬司 38年4カ月のキャリアに終止符 内藤哲也とのラストマッチで散る

1: 名無しさん@恐縮です 2023/02/21(火) 20:27:25.00 ID:AStP+gFM9
スポニチ2023年2月21日 20:10
https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2023/02/21/kiji/20230221s00003000327000c.html

 “天才”は38年4カ月のキャリアの最後は華麗に散った。21日、武藤敬司引退大会「KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO―WRESTLING “LAST” LOVE~HOLDOUT~」が東京ドームで開催された。メインイベントで武藤敬司は引退試合で内藤哲也に敗れ、ラストマッチは有終の美で飾れなかった。
 
「ゴールのないマラソン」と口にしていた“天才”が終焉を迎えた。武藤は84年に新日本プロレスに入門した。同年10月5日に蝶野正洋を相手にデビュー。史上初の六冠王者や史上3人目となる3大メジャー団体ヘビー級シングル王座完全制覇など常にプロレス界のトップで走り続けた。しかし体は悲鳴をあげていた。膝を何度も手術そして18年3月に人工関節を入れる手術を決断した。

 長年悩まされていた膝を人口関節にしたことで、膝への負担は少なくなったが今度は股関節を痛めてしまった。22年6月に「かつて、プロレスとはゴールのないマラソンといった自分ですが、ゴールすることに決めました。来年の春までには引退します」と引退宣言。引退試合の相手には内藤を指名。内藤が武藤を憧れていたこともあり「元々、彼から武藤敬司に対する愛情とかそういうものをすごい感じていた」と話していた。

 しかしプロレスの神様は“天才”武藤に最後の試練を与えた。1月22日の武藤の“悪の化身”であるグレート・ムタのラストマッチで両足のハムストリングの肉離れを発症。満身創痍の状態でプロレスラーとして最後を迎える。それでも最後まで武藤はプロレスの芸術を見せる。「貪欲ですもん。2月21日の東京ドームの試合も年間最高試合狙ってますからね」と引退試合で年間ベストバウトを狙っている明言していた。

 “天才”武藤が歩いてきた38年4カ月のキャリアのラストダンスは、プロレスの歴史に新たな太字で刻まれる1日となった。



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