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【韓国】 天皇か日王か~誇らしい共和国市民が時代錯誤な歴史感覚に気を遣う必要があるのか
1868年、明治維新が勃発するとすぐに日本は朝鮮に新政府承認を要請し見事に拒絶された。その外交文書に中国皇帝だけが使える「皇」の字があり、明治という日本の年号を使ったからだ。朝鮮は開国以来、中国だけを皇帝と認定し、その年号を使ってきたが、日本がこの様な古い外交慣例を突然無視したわけで、朝鮮の対応は正当だったと言える。
今はどうか。天皇という呼称を拒否する人々になぜと尋ねれば、ほとんど気分が悪くて自尊心が傷つけられるという。自分たちが日本の下なのはありえないというのだろう。今、私たちは王朝時代に生きているのか?天皇といえば韓国大統領より高くなるのか?それなら私たちも大韓帝国に再び戻って皇帝も作って年号も制定すれば自尊心が回復するのか?康熙帝、乾隆帝のような中国皇帝はそのまま呼んでも大丈夫?それならそれこそ王朝時代の人だ。
1919年3・1運動で大韓民国臨時政府が誕生した。辛亥革命で皇帝支配体制が崩れた中国では袁世凱が皇帝復活を試みた。しかし、韓国人は一寸の未練もなしに王政を廃止し堂々と共和国を樹立した。日本は若い青年たちを神風に追いやった自国の天皇制を、国が台無しになっても結局清算できなかった。そのため、公式国名が日本王国でも日本共和国でもなく不明瞭に「日本国」だ。王政廃止どころかまだ平成、令和と年号で時代を感じ、お互いの年齢も確認する。天皇ならどうで日王ならどう、初めからこのような時代錯誤な歴史感覚に気を遣う必要があるのか。
それでもなぜ天皇呼称をあえて選ぶべきか。いくら過去の歴史があり仲が良くなかったとしても日本は私たちの敵国ではない。日本政府が輸出規制で挑発した時、これに対し抗議する日本知識人の声明書のタイトルも「韓国は敵なのか」であった。敵国でないなら、その国の呼称を尊重するのが成熟した姿勢だ。韓国を除く全世界が天皇(Emperor)と呼ぶ理由だ。
一時、日本極右者が世界の中心でもないのになぜ「中国」か、「支那」と呼ぶべきと言ったことがあった。もしそのような人々が何が大きいので大統領か、自分は小統領と呼ぶと言ったら話にならないだろう。中華人民共和国の首班を気分が悪いと主席の代わりに末席と呼べないのも同じ理屈だ。
大韓民国憲法第1条は「大韓民国は民主共和国」だ。感激的な文章だ。それでも足りずに第2条は「大韓民国の主権は国民にあり、すべての権力は国民から出る」と明らかにする。反面、日本国憲法第1条は「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴としてその地位は主権を持つ日本国民の総意に基づく」だ。どうして国民ではなく天皇が一番前に出てくるのか。次にでも出てくるのか?「皇位は世襲され、国会が議決した皇室典範が決めるところにより継承する。」これが第2条だ。国民の権利と義務は第10条に出てくる。
日本国民の意識は「天皇」の下、抑えられ、日本の民主主義もやはりその名の下に制限される。私たちは誇らしい共和国の市民だ。皇帝だろうが、天皇だろうが、君主だろうが私たちはその世界と縁を切って共和国を樹立した。「皇」を使うとか、どんな年号を使うかは朝鮮の民には重要だったかも知れないが、私たち共和国市民は違う。
天皇でなく「玉皇上帝」といっても軽く呼んでやれば良い。それが民主共和国市民の誇りだ。
京郷新聞(韓国語)
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?art_id=202105130300025