日本では朝鮮学校で教育を受けてきたが、そこで教えられてきたことと、韓国の現実もまた大きな“壁”があり、逃げ出したくなったのが正直なところだった。
その思いは文在寅政権でさらに高まった。そしていま「反日」を修正しようという尹大統領の時代になった。2023年1月に入って、さっそく尹大統領は元徴用工問題の解決に向けて動き出すなど、その本気度が感じられる。
一方で、いまだに左派活動家たちの声が大きく響いている現実も見逃せない。そして、そんな韓国ではいま、若者を中心にそんな国のムードに「嫌気」がさしている人が増えているというーー。
私が感じる「生き(息)苦しさ」
最近、韓国に住んでいると、まさに私が朝鮮学校に通った頃の学校生活、朝鮮総連と歩んでいた時の「生き(息)苦しさ」を再び感じると思う時がある。
なにより文在寅政権以降、韓国では左派思想家が国の権力を掌握しているのではないかと錯覚してしまうほどその活動が目に余るようになっているからだ。
尹大統領になって沈静化するかと思っていたが、いまなおその活動は盛んなのである。そんな韓国の左派活動家を見ていると、50年代から70年代の祖父たちの朝鮮総連での活動の様に見えてくることがある。
韓国に「落胆」した人たち
韓国では「反日教育」のもと左派思考を植え込まれた結果、思考が都合の良いものしか認識せず、一人当たりGDPで日本を超えたなどと数値的には「経済大国」になったとしても、いまだにマインドが追いつかない原因になっているのではないかと感じてしまう。
そういった祖父たち諸先輩たちも、いまでは日本に馴染み生きて行くことを決めている人が増えている。
私の知るある在日2世の70代後半の先輩は、朴槿恵元大統領に期待したが、日本を無視し続けたことに落胆し、日本人として残りの人生を生きて行く(帰化)ことを決めた先輩もいた。
私からすれば「そんな歳で帰化する意味があるのか」と思い聞いたが、先輩は「日本に住む以上、私のケジメ」と話していた。
その先輩は家族全員が帰化しており、先輩が最後まで韓国籍にこだわっていたが、そんな「祖国と思いたかった」韓国への思いは絶対にいまの左派の韓国活動家たちには届かないし、理解もできないであろう。
過激でバカバカしい日常
だから、そんな韓国人と一線を画すために日本人に何と言われようが在日何世と名乗るのかも知れない。少なくとも私にはそういう気持ちがある。
ちなみに、韓国で左派感覚満載の日常生活をしていると、日本の左派市民団体の活動を見ると、「なんてやさしい活動なんだろう」と思う。その左派市民団体に反対する団体とも、双方、話し合い(討論)の機会もあるからだ。
韓国の様にすぐさま一方的な言い合いにならず、日本では「話し合い、討論での対決」の様なものがメディアでも、SNSでも、比較すればできていると気がつくと、韓国に比べて「日本はすごくやさしい国」に思える。
それが日本独自に熟成しきったマインドなのかどうかはわからないが、韓国の過激でバカバカしい日常とはまったく違う世界なのだ。
「やさしい」という意味は、私にとっては「暮らしやすい」「自由がある」という意味でもある。韓国の様に何事も「有る様で無い国」ではなく、日本は自由なのだ。
嫌気がさす「韓国若者たち」
そんな簡単なことでも、隣国韓国に住んでこそ、日本の良さを身に沁みて感じるのだ。こういった感覚を知らずに、ネット情報だけで判断していたならば、私自身も完全な嫌韓人になっていたと思う。
最近では韓国の若者たちはこうした韓国のムードに嫌気がさしている人が増えているようだ。
いまはまだギリギリのところで韓国を見ていられるが、今後の新政権の成果によっては帰化した先輩の様に、私も今後の「人生のケジメ」を取るかも知れない。最近はそう思うようになってきた。