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ありがとう「もんた」!『ファミスタ』で振り返る野球ゲーム史屈指の強打者・門田博光の偉大さ
「もんた」から知った偉大さ
◆ 野球ゲームの移り変わりから見るプロ野球史~番外編:門田博光
80年代、多くの野球少年にとって、パ・リーグの試合観戦はハードルが高かった。
毎試合地上波テレビで中継されていた巨人戦がリアルな日常の風景ならば、パ・リーグの試合はある意味“ファンタジー”だった。
子どもが夜遅い時間の『プロ野球ニュース』を見るのは難しく、もちろんまだDAZNやパ・リーグTVは存在しない。コロコロコミックの漫画『かっとばせ!キヨハラくん』や、毎年日本シリーズに出る黄金期の西武ライオンズ以外、関東近郊で関西のパ・リーグ球団を1試合がっつり見る機会は皆無に等しかったのである。
そんな時代に子どもたちは、ファミコンの野球ゲームからパ・リーグの選手を覚えた。86年12月10日発売の記念すべき『プロ野球ファミリースタジアム』第1作目、パ球団はライオネルズ、レールウェイズ、フーズフーズの3チーム。
阪急・近鉄・南海の関西鉄道連合チームという括りのレールウェイズは、チーム打率.292・258本塁打・代打打率.282とすべて全チーム中1位の猛打がウリだったが、そこで左の代打の切り札として控えるのが、打率270・26本塁打のベテランスラッガー「かどた」である。
もちろん、モデルは南海の背番号60・門田博光だ。ホームランはヒットの延長的なその一発の魅力と、走力4の恐ろしい鈍足ぶりに少年たちは戦慄した。
◆ ゲームでも存在感抜群の「もんた」
シリーズ2作目の『ファミリースタジアム’87』では、阪急がブラボーズで独立して、レールウェイズは南海と近鉄の混合チームに。そこで四番を張るのは、打率.302・30本塁打の「かどた」である。
今作でもチーム1の鈍足“走力4”は変わらず。なお、このシーズンの門田は39歳にして史上24人目の通算2000安打を達成。そして、88年シーズンには44本塁打・125打点という凄まじい数字で打撃二冠を獲得してみせる。40歳の狂い咲きで“不惑の大砲”と社会現象となるも、所属する南海ホークスはダイエーへの身売りが発表されて消滅してしまう。
『ファミリースタジアム’88』では、ついに南海もホーネッツの単独チーム扱いで収録されるが、メジャーリーガーズに対抗する日本人選手屈指の強打者として四番を打つのは、もちろん「もんた」しかいない。
打率.308・38本塁打に、もはや鉄板ギャグ化する走力4。なお、これはブラボーズの「ぶうまん」と並んでリーグワーストの鈍足設定である。南海と阪急の身売りという衝撃的なニュースで、伝説のレールウェイズの歴史も、昭和の終わりとともにこうして幕を閉じた。
さて、88年シーズンのMVPに輝いた門田は関西でのプレーを希望して、福岡行きではなく、近鉄との争奪戦を制した新興球団オリックスへトレード移籍。89年のオリックスブレーブスは3番ブーマーが打率.322・40本塁打・124打点。4番門田は打率.305・33本塁打・93打点。さらにその前後を松永浩美、石嶺和彦、藤井康雄らの強打者が固める“ブルーサンダー打線”を形成して球界を席巻する。
ペナントで開幕8連勝を飾り、序盤から独走態勢。8月には一時2位に転落するが、そこから盛り返し121試合目にマジック9が点灯。近鉄とともに王者西武をあと一歩まで追い詰めるが、ホームランを打った門田が出迎えた巨漢ブーマーとハイタッチして右肩を脱臼するというなんだかよく分からないアクシデントにも見舞われ、首位近鉄とゲーム差「0」の2位に終わる。
※全文・詳細はリンク先で
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/f369b5578867dbb5a41a2ca182608f69250533fa&preview=auto
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