【パヨク】ネット右翼になった老父は、ネトウヨ化前から「朝日ぎらい」だった…若い頃の「意外な内面の動き」

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【パヨク】ネット右翼になった老父は、ネトウヨ化前から「朝日ぎらい」だった…若い頃の「意外な内面の動き」

1: 仮面ウニダー ★ 2023/01/31(火) 09:49:25.03 ID:OmKnxoOP
 「老いた親が突然、韓国や中国を罵倒するような言葉を吐くようになって戸惑っている」

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【写真で見る】父は老いて「ネトウヨ」になった…その原因は本当に「老い」だったのか

 昨今、そんな声をしばしば耳にするようになりました。

 ルポライターの鈴木大介さんも、父親が老いとともに「ネット右翼」的な言動をとるようになったことに戸惑った一人です。

 父親の「右傾化」について探るなかで鈴木さんは、叔父から、父親の若い頃について話を聞きます。そこから見えてきたのは、「朝日新聞ぎらい」の過去でした。

 鈴木さんの新著『ネット右翼になった父』よりお届けします。

学生闘争への思い
 叔父の指摘は、「その後の左翼」の商業化に及んだ。

1960~1970年代の闘争が当時多くの学生にとっては「お祭り」であり、「参加しているとモテる」レベルの文脈だったことは、散々指摘されてきたことだ。僕自身もかつて雑誌への寄稿が多かった時代、学生運動の背後で葬り去られた性暴力について取材をする中で、某大の学生会館の雨樋
(
あまどい
)
がコンドームで詰まって溢れたなんて逸話や「モテたければ学生運動という時代だった」といった証言を聞いて、ゲンナリした記憶がある。 その世代から聞く学生運動に参加していた人々の属性を現代に置き換えれば、それはハロウィンに渋谷駅前に集まるパリピ(パーティピープル)に等しいのかもしれない。

 けれど叔父は、たとえパリピではなく本気の「信念左翼」であったとしても、その後の彼らが信念を貫けなかった理由として、卒業と同時にお祭りが終わったことに加え「左では徹底的に食えなかったから」、すなわち思想と経済性の両立が困難だったことを挙げる。

 叔父の語る、左翼を貫いた結果、最高学府OBにもかかわらず最期は生活保護を受けながらひっそりとこの世を去ったという友人の話。信念左翼を隠して大手企業に就職するも、在職中にポロッと信条を漏らしたがゆえに「出世の道が閉ざされた」友人等々。

 叔父が見てきたという「食えない左翼像」は、父もまた働く中で見てきたものだったろうか。

 そしてそんな述懐の中、叔父は父の朝日新聞嫌いについて、「それは朝日が商業左翼だったからだろう」と一刀両断した。

以下全文ソースから

鈴木 大介(文筆業)
現代ビジネス 1/31(火) 8:32配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/1b4c82a86771d0239d93900012f2fadb239d49bf?page=2


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