【韓国料理】 キムパプの歴史、日本食から始まった

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【韓国料理】 キムパプの歴史、日本食から始まった

1: LingLing ★ 2023/01/29(日) 22:51:39.89 ID:0+LtWcmq
[キム・ソンヒの歴史] キムパプの歴史

あれこれ意味があるが、ソル(※旧正月)は口が楽しい日でもある。用意する人たちは大変だろうが、普段は味わえない別味が豊富に用意されているからだ。 そこで「メニューから見た20世紀韓国食文化史」という副題がついた「食卓の上の韓国史」(チュ・ヨンハ著、ヒューマニスト)を探っていて、興味深い部分が目に入った。「日本食から始まったキムパプ」という小題目の文だ。

本によると、朝鮮時代にもキム(※海苔のこと)を食べていたようだ。 かつてチョン・ヤクヨンの『経世遺表』や朝鮮初の味紀行本であるホ・ギュンの『屠門大嚼』などにヘテ(海苔)、カムテ(甘苔)といって産地別に言及した記録があるという。

特記すべきことは、人々がキムを「チム」と呼んだが、これは天子が自分を称する「チム(朕)」と音が同じで、チョン・ヤクヨンは苔類のうちの紫苔の方言で「チン」と書いたという。 とにかく、朝鮮の人々はこれを紙のように作って、油と塩で焼いて飯のおかずとして食べたり、飯にまぶしてビビンバを作って食べたりもしたが、この時のキムは養殖ではなく天然だった。

キム養殖は日帝強占期の1922年、広島県のヘテ業者たちによって全羅南道唐津(タンジン)で試験的に始まり、後に日本食のノリマキズシ(海苔巻寿司)に似たキムパプが知られた形だ。手軽な別味としてキムパプが大衆化し、1930年3月7日付の東亜日報「夫人が知っておく春の料理法」という記事に登場するほどになった。

当時、京城同徳女高普の教師だったソン・クムソンはこの文で、昌慶院に花見に行く時に準備する弁当として各種「サンドウィチ」と共に「キムサムパプ」を紹介した。ノリマキズシには厚い日本のキムである「アサクサノリ」を使わなければならないが、なければ朝鮮キムを2枚重ねて使えばよいという説明も一緒にあった。日本で調理学を学んだパン・シンヨンという人が書いた『朝鮮料理製法』にはキムを使った「サンシクキマキタマンゴ」という日本食が出てくるが、これは韓国語で言えば「三色鶏卵キムパプ」という意味で、卵の黄身と白身、そしてキムを入れて作るという意味だった。

ところが、キムパプの材料になるキムが解放後、重要な対日輸出品として「貴重な物」の扱いを受けることがあった。日本政府は自国のヘテ養殖業を保護するため、随時韓国キムの輸入を制限していたが、1964年に韓日修交の雰囲気が高まると、キムをはじめとするいくつかの水産物の制限を解除した。すると、韓国で生産された大部分のキムが日本に輸出されたため、多くの家では自分の子にピクニックの時などに味わったキムパプを作るのが難しい状況に至った。

60年代に「国民学校」に通った彼らはピクニックの日、キムパプとサイダーだけで肩を並べたりした友人たちの姿を覚えているだろう。大体の商街にキムパプ専門店が入っている最近としては想像しがたい風景だが、その時はそうだった。私の時代は。

エコノテリング(韓国語)
http://www.econotelling.com/news/articleView.html?idxno=9022


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