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【自動車産業】 「実は、韓国が世界初でした」 みんなが間違っていた自動車の歴史の話
-有名な自動車逸話
-訛伝された話もあり
-正しい内容を見てみると
自動車産業の歴史が一世紀を超えるだけに、興味深い逸話をたくさん見つけることができる。この中には偶然の発見が長く使われる発明品になった事例があるかと思えば、発した言葉が歴史を左右した事例も存在する。
自動車が好きなマニアの立場からこのような情報を得ることは、かなり面白いものに見えるかもしれないが、確認されていない情報が事実として通用する場合が多い。これまで定説として通じていたが、分かってみると間違った内容であることが明らかになった事例をいくつかあげてみた。
・四輪駆動の元祖はクワトロ?
-先だって作った会社が2社存在
四輪駆動システム「クワトロ」は「アウディ」と言えば思い浮かぶ代表的な要素の一つだ。 よくアウディクワトロが最初のスポーツ四輪駆動システムとして知られているが、元祖は別にある。一時、英国に存在した自動車製造会社「ジェンソン(Jenson Motors)」は1966年、2ドアGT「インターセプター(Intercepter)」の車体にクライスラーV8ヘミエンジンとファーガソンの四輪駆動変速機を載せたモデル「FF」を披露した。 しかし、当時、四輪駆動スポーツカーは特に関心を持たれず、ジェンソンFFの5年間の累積販売台数はわずか320台にとどまった。
その後、時が経って1972年、日本の自動車製造会社スバルはインプレッサの前身「レオーネ」に四輪駆動オプションを提供したが、これはアウディクワトロより先に大量生産された四輪駆動乗用車として記録された。レオーネに搭載された四輪駆動オプションは、後にスバル固有の四輪駆動システム「シンメトリカル(Symmetrical)」の基盤となった。シンメトリカルを乗せたインプレッサラリーカーは、WRC(ワールドラリー選手権)の舞台で優勝トロフィーを欲しいままにし、スバル最高全盛期の象徴のような存在になった。
・シルバーアロー ビハインドストーリー
-ベンツ本社も間違っていた
メルセデス-ベンツの伝説的なレーシングカー「シルバーアロー」はペイントを剥いだ外見がまるで銀の矢のようだという表現から名前の由来になった。シルバーアローの車体に塗装がない理由は、ベンツ本社ですらマーケティング手段として使うほど有名だが、実状は違うという。まず、よく知られている内容はこうだ。 1934年「アイフェルレンネン」競技に出場するベンツW25レーシングカーの重量が規定値である750kgを超えると、エンジニアたちが一晩中ペイントを剥がして重量を減らし、ようやく750kgに合わせて出場できるようになったという話だ。
しかし、当時現場にいたメルセデスベンツグランプリチームのマネージャー「アルフレード・ニューバウアー」の回顧録にはこのような話がなかった。 彼の回顧録によると、シルバーアローが銀色の理由は、晴れた午後に、日の反射によってレーシングカーを最も目立つようにすることが目的であり、重量規定は当初存在しなかった。当時のアイフェルレンネン競技の詳細規定は現在も明確な文献として残っている。
・ランボルギーニ設立秘話(省略)
・ホットハッチの元祖はゴルフGTI?(省略)
・日本が言い張る初タイトル
-事実は韓国が主人公だ
トヨタは自社の準中型SUV「RAV4」を最初の都市型SUVと広報しているが、実際には韓国産車が先だった。1991年、起亜自動車は東京国際モーターショーで開発中だったスポーテージコンセプトモデルを展示したが、当時スポーテージが自動車業界に及ぼした影響は多大だった。オフロード走行を目指す大雑把なSUVが一般的だった当時、都市型SUVは型をきちんと破ったジャンルとみなされたからだ。
スポーテージはトヨタRAV4より1年前の1993年に本格的な販売に入ったが、スポーテージより先に似たようなコンセプトを志向した車も存在する。それはスズキエスクードだ。ただ、エスクードはスポーテージやRAV4とは異なり、車体が小さかっただけでなく、小型オフローダーにより近いモデルであるだけに、真の都心型SUVとして認められなかった。
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