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ネット右翼について、「状況が一変した!」と感じたのは、2011年の東日本大震災後だ。
あのとき初めて、僕は「日本人が右と左に分断された」と感じた。そして、極端に分断を広げようとする、多様性の文脈には収まらない勢力として、ネット右翼という人々を認定したと思う。
分断を強く認識したのは、間違いなくこれが「初めて」だった。
古い話を持ち出せば、例えば「村山談話」(1995年の終戦記念日に当時の村山富市総理が日本の戦争責任について語った談話)でも、評価をめぐって国民が二分したなんて感覚は当時なかったし(そもそもあの頃、保守は現在より圧倒的にマイノリティだった)、鳩山由紀夫氏率いる民主党への政権交代後にネット上に吹き荒れた「アンチ民主」の声を見たところで、やはり国民の分断なんて文脈で考えたことはなかった。
(略)
正直、右も左も、その両極に対して、僕はうんざりしていたように思う。
例えば、左派は反原発からオカルトへと、大きな振れ幅を見せたように感じた。それこそ60年安保闘争から続くような高齢左派の一部は、それまでも一部の「買ってはいけない勢」(極端な自然派志向)から感じ続けていた非科学色を一層濃くし、あっというまに科学的エビデンス重視派との間に内部分裂を起こしていった。
「東京から避難せよ! 1年後には住めなくなる」みたいなテーマで講演会ビジネスを展開する輩(やから)、
手あたり次第に自費診療のデトックス(体内から毒素を排出)を提供し始めたビジネス医療者、政府のエビデンスはエビデンスではないとして敢えて放射線量の高い公園の側溝などを線量計片手に計りまくるラジオフォビア(放射線恐怖症。phobiaは直訳すれば「恐怖症」だが、ここでは非科学的論拠を基準に必要以上に物事を恐れることの意味)なグループ、そしてエネルギー政策にぶら下がる原発利権・原発村に斬り込む部隊等々。 それは、「マイノリティの声を封じない」ことを是とする左派の特質が、悪い方に作用してしまったように見えた。
一方で「右サイド」はどうだったろう。激しく迷走する老害左派を嘲笑(あざわら)う投稿などが目立つのは、まあ仕方がなかろう。けれどここで僕が「状況が一変した」と感じるのには、二つの理由があった。 まず一つは、政府の原発事故対応に関する問題への指摘を、あくまで当時の民主党政権への批判を中心とする「政治的マター」として発言する者が非常に目立ったこと。そしてその主張が、民主党批判であるだけでなく、ほとんど盲目的な自民党政権復帰願望を含んだものだったことだ。
それは宗教的な自民礼賛のように、僕には見えた。
新しくなったネット右翼の担い手
この頃、彼らの発言に引用されるソースとして目立っていたのは、キュレーションサイトに加えて「国民が知らない反日の実態」という利用者編集型(wiki形式)のサイトだったりしたが、投稿から感じられる主張は、反民主党、そして何より民主党政権以前の自民、中でも第一次安倍政権への回帰願望。今思えば、非常に政治的な部分に収斂
(しゅうれん)していたように思う。 「野田(佳彦)辞めろ、ゴミンスつぶれろ。反日勢力に日本を支配される前に、安倍晋三よ、戻って来て、この日本を救ってくれ!」
後に、故安倍氏が「悪夢のような」と繰り返した民主党政権への批判。政権関係者への個人的な誹謗中傷から、掲げる政策、被災地への支援、原発事故への対応まで、一挙手一投足に対する揚げ足取り。彼らの主張は、間違いなくそこに特化していた。
そして状況の一変を感じたもう一つのポイントは、それまで僕がネット右翼的だとは全く考えていなかった層の友人たちが、やはりSNSを通じて非常に右傾した政治的投稿を繰り返すようになったことだった。
思えばそれが、僕の感覚では「ネット右翼第二波」だったように思う。
投稿の主は、それ以前の「通勤電車がダルい・上司がクソ」とつぶやく層とは異なる、企業経営者、海外から日本を見ているビジネスマン、大手企業勤務、成功したフリーランスなど。
年代は僕の友人なので1960年代終盤から1970年代生まれが中心だが、要するに社会的にそれなりの評価を得ている人たちで、それまで僕が感じていた「社会的に認められない憤懣を、設定したエネミーに発散する」みたいなネット右翼像とは全然違うクラスターだったのだ。
震災後の激しい混乱の中、僕のネット右翼に対する認識は、多様性の範疇から大きく逸脱したものへと移行していった。
鈴木 大介(文筆業)
https://news.yahoo.co.jp/articles/3508b80bd0e9309b31a947a28e41b48e76984d3c?page=1