吉田義男氏がバース氏秘話、バックスクリーン3連発の3日前に「5番降格」申し出

吉田義男氏がバース氏秘話、バックスクリーン3連発の3日前に「5番降格」申し出

吉田義男氏がバース氏秘話、バックスクリーン3連発の3日前に「5番降格」申し出

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 おめでとう、ランディ! 現役、監督時代を通じて、何十人もの外国人選手と接してきたが、間違いなくナンバーワンはバースでしょう。85年のリーグ優勝、日本一は、バース抜きではあり得ませんでした。

 来日当初は打てばボテボテのゴロ、一塁と外野兼任の守備も上手とは言いがたかった。頭角を現したのは、わたしが監督になる前年の84年の夏場で、守備も一塁に専念してからでした。

 入団3年目の85年、開幕広島戦でサウスポーの大野豊に4の0に抑えられました。同じ左の川口和久が先発だった2戦目の試合前ベンチ裏で、「岡田を3番にして、おれを5番に下げてほしい」と申し出てきました。

 監督が選手を信頼して起用するには、我慢も必要です。相手投手の右左で外すつもりはなかったのは、バースの力を信じていたからです。その場で「お前を外すつもりはない」と突き返したのを覚えています。

 その3日後の4月17日、甲子園の巨人戦で生まれたのが、伝説の「バックスクリーン3連発」でした。2年目を終えた前年に球団が下した方針は解雇でしたが、わたしから残留を求めた決断は間違っていなかったと感じました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d079c22e521584559c0f4c12b73969f8909842de


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