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「そんな光景、日本じゃ見ない」 選手が用具の“お下がり”要求…福留孝介氏が米国で感じた格差
1999年に日本生命からドラフト1位で中日入りして以来、リーグMVP1回、首位打者2回、ベストナイン4回、ゴールデングラブ賞4回に輝くなど、日本でトップクラスの外野手に成長した福留氏は2007年オフにFA権を行使。カブスと4年総額4800万ドル(当時のレートで約53億円)の大型契約を結んだ。
開幕戦で9回裏に同点3ランを放つ鮮烈なデビューを飾った1年目は、前半こそ正右翼手を任されたが、打率の下降に合わせて先発機会が減少。2年目以降もレギュラーの座は保証されず、守備固めや代打要員にもなった。5年目途中からはヤンキース傘下3Aで長いバス移動も経験。日本にいれば“しなくてもいい苦労”だったかもしれないが、メジャーの本質に触れたことは大きな財産だ。
「どうしてアメリカではマイナーからどんどん新しい選手が上がってくるのか。もちろん実力のあるなしも関係しているだろうけど、日本と何が違うんだろうと考えた時、選手はみんな、頑張ってメジャーに上がってお金を稼いでいい生活をしようと本当に必死。そういう姿を見ると、日本の2軍はすごく恵まれているなって。だって、キャンプが終わる頃になると、マイナーの選手たちがメジャーのロッカーに来て『お下がりをください』って道具を一式持っていくんだから。そんな光景、日本じゃ見ないでしょ」
米国は契約社会と言われるが、スポーツ界も然り。メジャー契約を結べる選手は1チーム40人で、それ以外のマイナー選手とは年俸も待遇も雲泥の差。いくら成績が良くてもマイナー契約ではメジャーの試合に出られない。「まず最初の関門として40人枠に入らないことには、勝負の舞台にも立てない。そこの差がはっきりしていることって大切かもしれないね」と、明確な区切りについて話す。
米移籍後から考えるようになった「自分に必要なもの」
米球界の仕組みや契約が及ぼす影響について、実際に海を渡るまで詳しくは知らなかったという。その他にも「百聞は一見にしかず」を実感することが多々あった。
「あれだけ長距離の移動があったり、休みがほぼなく10連戦以上の中にダブルヘッダーが入っていたり、ダブルヘッダー第1試合が終わった1時間後くらいに第2試合が始まったり。選手は平気な顔でやっているから、日本で中継を見ているだけでは、そんなことになっているとは想像がつかない。シーズン中の練習に関しても、向こうの選手はどうしたら試合で一番いいパフォーマンスを出せるかを考え、そのために休みが必要だと思えば休む。僕が若い時に考えたこともないような考え方に触れて、そうか、と思うこともあったし」
時間の使い方にも刺激を受けたという。日本に比べて練習時間が短いと言われるメジャーでは、チーム練習こそ短いが、選手は個々の責任でトレーニングやケアを行っている。
「基本的に自分のためにしっかりと時間を使う。みんなでワイワイガヤガヤ、というのは見ないですよね。自分で決めたことをやって、終わったら、ハイさようなら。僕は日本でやってきたことを無理矢理変えるつもりはなかったから、練習量が少なくなる分、自分で補うために球場に早く行って練習をした。日本では練習内容が大体チームで決められているけど、アメリカでは今、自分に何が必要か考えて組み立てるようになったし、時間の使い方は上手くなったんじゃないですか」
自分をよく知らなければ、自分に必要な練習は考えられない。カブス入りしたのが31歳になる年。その前年には右肘を手術したこともあり、自分の体の声にしっかり耳を傾けるようにもなっていた。
「この時期は体が重く感じるから、こういうランニングを取り入れた方がいいなとか、体のことも考えました。ちょうど体のことを考え始める時期だったのかもしれないね。個人トレーナーにもついてもらったけど、自分に合うメンテナンス方法を探したり、リラックスできる方法を探したり、体のケアにはしっかりとお金を掛け、気を遣いました」
米国で身についた考える習慣が、45歳まで現役という長いキャリアを支える1つの柱となったようだ。