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【阪神】星野監督がくれたお菓子「食えよ。やるわ」 闘将が見せた疲れ果てた素顔…
新年を迎えると、やはり思いだす。2018年1月4日、中日、阪神、楽天で監督を務めた星野仙一さんが亡くなった。01年から阪神担当になった記者にとって、星野阪神の2年間(02、03年)は、新米時代のかけがえのない〝青春〟だ。
星野監督の周りは常に各社のベテラン担当キャップが取り囲んでおり、下っ端記者には近寄りがたく、正直、怖かった。02年の夏前、ベンチ裏で通りかかった監督に頭を下げると、いきなりネクタイをつかまれた。「暑苦しいッ!」。一喝されてビビリながらも「気合入るんで…」と答えると、ニヤリとして「一生やっとけ!」。結局、真夏でもスーツにネクタイで働くことになった。
そんな「闘将」からは想像もできない顔を見たのは、セ・リーグを独走していた03年、優勝の直前だった。9月9日からのヤクルト戦(神宮)で2連敗し、3戦目も7-7で引き分け。試合後、当時のチーム宿舎だった赤坂プリンスホテルに向かった。球場で原稿を書いているキャップの代わりに、監督が降りてきたときに備えて、ホテル内のレストランの一席に座る。しばらくすると、ジャージー姿の星野監督が入ってきた。
「なんや、稲見(当時のサンスポの阪神キャップ)の使いか? あいつ、ラクしやがって…」
直立不動の記者を一瞥(いちべつ)すると、少し離れた席に座った。もちろん同席などできるわけはない。急いでキャップに「監督が降りてこられました」と連絡を入れる。目の前に監督が立っていた。ドサッと大きな袋がテーブルに置かれた。チョコレートや煎餅など、お菓子があふれんばかりに詰め込まれていた。
「食えよ。やるわ。みんな、いろいろとくれるんやけどな、全然、食えなくてな…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/6a6ae102a608100282b2357cb396075068c60ef0