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<箱根駅伝>「早大三羽烏」の2人が監督対決!“もう1人”の武井隆次氏はこう見る
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早大三羽烏──。往年の箱根駅伝ファンにとって懐かしい響きである。櫛部静二、花田勝彦、そして武井隆次の3人は、早稲田大学1年時に出場した1991年大会から4年連続で箱根を走る。総合優勝を成し遂げた3年時には3人そろって区間新を更新する快走を見せた。
三羽烏は、いまも指導者として陸上にたずさわる。今回の箱根では櫛部が城西大学の、花田が母校早大の監督として箱根を戦う。現在、すみだランニングサポートクラブの監督として初心者から上級者まで指導する武井隆次は、2人をこう評する。
「天衣無縫で天才肌の櫛部君と、理論派で努力型の花田君。それは、現役時代も、指導者になってからも変わりません」
4年連続区間賞という偉業を持つ武井をして、櫛部は「天才」と言わしめるほどのランナーだった。
「トラックでは負けないのにロードに出ると勝たせてもらえない。櫛部君がいたから、ぼくは一度もエースと呼ばれなかった」
武井によれば、櫛部の指導は「堅実でありながらも自由」。櫛部の人生を変えたのが“箱根の悲劇”だ。
1年生ながら花の2区に抜擢された櫛部は、トップだった1区の武井からタスキを受け取るが、脱水症状を引き起こす。フラフラになり、13人に抜かれながらも3区の花田へとタスキをつなぐ姿は、語り草となっている。武井には「いつかは会社を興して……」と自由な夢を話していた櫛部が、陸上に身を捧げる転機となったように思えた。
もう一方の花田については「走ること以外もきちんとやらせる」と語る。
花田は2004年に上武大学駅伝部を立ち上げ、4年で箱根初出場を果たす。
「勉強が苦手な子がいれば読書感想文を書かせたり、漢字ドリルに取り組ませたりする。学力や教養、人間性を高める指導をする」
実は、と武井は苦笑する。
「当初は、三羽烏と呼ばれるのに、抵抗というか、違和感があったんです」
インターハイで1500mと5000mの頂点に立った武井と、3000m障害王者の櫛部に対し、花田は無冠のまま早大に入学した。ただ、と武井は続ける。
「花田君は1年のときに、4年になったら2区を走ると宣言した。マジメなうえ理論派で、意味を考えながら練習に取り組む。努力を重ねて3年時に大活躍し、4年で2区を任された。そこで本当の意味で、はじめて三羽烏になれたのかな」
(一部敬称略)
取材・文/山川徹
※週刊ポスト2023年1月1・6日号