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55年ぶり箱根駅伝出場の立教大、かつては「スポーツ最強大学」だった 全盛期の「大学日本一」列伝
18年、「立教箱根駅伝2024」事業を立ち上げ、このときは大学創立150周年を迎える24年の出場をめざしていた。当時の総長がこう話している。
「歴史と伝統ある本学が、歴史と伝統ある箱根駅伝で襷(たすき)をつなぐことで、約2万人の学生と国内外に広がる約20万人の校友が一枚岩になることを体現できるだろう」(立教大ウェブサイト、2019年3月18日)
予定よりも1年早く箱根駅伝に出場することになった。うれしい誤算である。
立教大が前回、箱根駅伝に出場したのは1968年のことだ。初出場は34年。68年までに27回、箱根を走っている。48年から66年まで19回連続出場しており、最高成績は57年の3位だった(1位日本大、2位中央大)。当時は今のように予選を含めて出場校は多くない。それでもしばしば上位に食い込んでおり、相当な実力があったと言えよう。
この時代、駅伝だけではない。立教大はほかの競技もやたら強かった。
1950年代、60年代、大学スポーツ界を席巻しており、大学日本一が当たり前だったのである。全国大学選手権大会で優勝した競技は次のとおり(すべて男子)。
◆大学日本一<1950年代>
1951年 アメリカンフットボール
1952年 バスケットボール、アメリカンフットボール
1953年 野球、バドミントン、バレーボール
1954年 バスケットボール、サッカー、バドミントン
1955年 バスケットボール、バドミントン、アイスホッケー
1956年 バドミントン
1957年 野球、バレーボール、バドミントン
1958年 野球、バスケットボール、バドミントン
1959年 バドミントン、アイスホッケー
◆大学日本一<1960年代>
立教大がいわばスポーツ最強伝説を作り上げたことを知る人は、大学関係者(学生、教職員)を含めて多くはないだろう。
なかでもバスケットボール(男子)は向かうところ敵なしだった。繰り返すが、52、54、55、58、61、62年に全国制覇している。大学新聞でこう紹介されている。
「日本バスケツト界の創設者として三十五年の歴史を有している。常に優秀な成績を収め、日本バスケツト界をリードしている。特にメルボルンオリンピツク大会昨年のアジア大会においては立教中心のメンバーが編成された」(立教大学新聞、1958年12月20日)
すこし解説しよう。日本に初めてバスケットボールが外国人によって伝えられたのは1908年とされている。その後、北米YMCA同盟の協力主事が、関西YMCAでバスケットボールを指導したことがきっかけとなり、日本国内で広く普及した。
1924年、東京商科大(現・一橋大)、立教大、早稲田大の3校が「全日本学生籠球連合」を結成し、全国各地で対抗戦を行った。「日本バスケツト界の創設者」は、このことを指している。
36年、オリンピックベルリン大会には、東京帝国大(現・東京大)や早稲田大などの学生が出場しており、立教大からは前田昌保氏が選ばれている。
戦後、前田氏は立教大で指導する一方、オリンピック日本代表のコーチとなり、日本のバスケットボール界を引っ張った。56年メルボルン大会、60年ローマ大会のバスケットボール日本代表のコーチは、前田氏がつとめている。
両大会および64年東京大会のバスケットボール日本代表メンバーの出身校は次のとおり。
56年メルボルン大会 立教大6、明治大3、東京教育大(現・筑波大)1、慶應義塾大1
60年ローマ大会 立教大6、東京教育大、明治大2、慶應義塾大1、早稲田大1
64年東京大会 立教大3、明治大3、東京教育大2、日本大2、慶應義塾大1、明治学院大1
1960年 アメリカンフットボール、アイスホッケー
1961年 バスケットボール、バレーボール、バドミントン
1962年 バスケットボール
1963年 ハンドボール、バドミントン
1965年 アメリカンフットボール
1967年 ハンドボール
※以下出典先で
AERA2022/12/30 09:00
https://dot.asahi.com/dot/2022122800046.html