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【ショック…】吉田拓郎 “芸能界引退”へ
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年内をもって音楽活動から引退することもあり、最後のメディア出演となった。
歌手活動と並行し、ライフワークとして50年以上発信してきたラジオで活動に区切りをつけた。
冒頭から吉田は「最終回だからといって特別な企画があるわけじゃない。自由気ままにお送りします」と明るく切り出し、最終回といえども“通常運転”で進行した。
同番組は、コロナ禍の20年4月から月1回のペースで放送。これについて「ずっと家で1人で録っていた。
やっとスタジオに来てゲストの方に会えて嬉しかったけど、あっという間に最終回がやってきてしまった」と時の流れに笑った。
アコースティックギターを手に取り、昭和歌謡などのワンフレーズを突然歌唱する場面も。
「ラジオに育てられてラジオとともに成長した。ラジオがあったから吉田拓郎もそこにいた」とラジオはまさに“人生そのものだった”と総括した。
ラストでは「僕は僕なりに道を進んでいくしかない。明日からはまた新しい道が始まるんだ」と将来を描き、自身の楽曲「今夜も君をこの胸に」を選曲。
饒舌トークでファンに寄り添った2時間の放送となった。
吉田拓郎 最後のメディア出演 50年以上親しんだラジオで「僕は僕なりに道を」音楽活動引退
https://article.auone.jp/detail/1/5/9/266_9_r_20221217_1671203172663795
最後のオールナイトニッポン、しみじみ聴いちゃったわ
ガンを患って*だと思ってたわw
老けるとかわるなー
そうでもないよ
ラジオだとTV用に化粧とかしてないはずだし
76でこの見た目はいいよ
ホントこれ
若いよ
お前も20年もしない内に今の年寄りもヨボヨボじじいになるよw
吉田拓郎よりも酷い事になるんじゃねw
そりゃ爺の20年後はヨボヨボになるだろwwww
元々こんなんじゃね?
復帰やろ
今更減らんだろ?
ゆっくり休め
才能の塊だろ この歳まで活動して、自分で引退できるのがその証左じゃん
エドシーランの先駆けだよな
ボブディランを世間に広めた人だよ
最初で最後に観たのはフォーラムでのライブ
鳥肌が立つほどかっこよかったわ
お袋と同じ歳なのが信じられなかった
お疲れ様でした
ありがとうございます(_ _)
高石ともやと岡林じゃないの
実に素直な人
そのくらいでだいたいなくなってるよね。
お疲れ様でした
おじいちゃん、それは早川義男ですよ
こうせつだろ
吉田拓郎の、不毛~な議論!!
というわけで、移籍しました。
辞めるならまず描かないと
https://seikatsusyukanbyo.com/calendar/2013/002241.php
安らかに眠れよ
なんとなくわかるような気もしたな
まあ誰でもあるといえばある感情かもな
タッキーなんか目の前にいたらもう何されてもいいやって誰でもなるのもんな
あと大阪の浜村淳くらいw
あれこの人まだ生きてたっけ?*だっけ?と思ってググったらブログ更新してたわ
どうやら生きてたみたいだ
たぶん武田鉄矢ではなくこの人だった記憶。
逮捕されたら「自称シンガー・ソングライター」と出るような仕事しかしてなかったんじゃね
この人高校の先輩らしいわ、親から聞いたけど
フォークソングが流行って
吉田拓郎の「結婚しようよ」とか
ヒットしたね
自分は岡林信康の「山谷ブルース」
のほうが好きだったんで
モテなかったね
あの時代は山本リンダ
ギターも流行ったけど
自分は不器用なんで
コードを押さえるのは無理だった
健さん、、、
自分はガッドギターを買ったけど
「春の小川」の単音弾きまでだった
その後復帰してるのがすごい
20代や30代であの詞をかいてろくな音楽理論も知らず拓郎節で席巻
ジジイとしては綺麗な引き時だわな
ジャリタレのキンキは育てられなかったがご愛嬌
1970年代で終わっとる
何もぉ無い春です~♪
むしろ「フォーク=左翼」という枠とは関係なくヒットした最初の人じゃないかな
>>82
それは淺川マキとかじゃないかな
森山良子がいるじゃん
たまたま一部の曲が左翼に刺さっただけな感じか
明確な左翼フォークというと、「自衛隊に入ろう」の高田渡みたいなのだが、
吉田拓郎にそういう曲は無いんじゃないかな。
パブリックな呼びかけよりはプライベートな心情を表現した曲のほうがヒットしてる。
ただフォーク黎明期の歌手は、職業作曲家がつくってアイドルが歌うというシステムに反抗したので、
その点では吉田拓郎は反体制の代表だ。
浅川マキはある意味別格
ヤマハ
名曲だよねー
おちゅかれさまです
不快過ぎるからはよ消えろ