あわせて読みたい
日本ハム・金子千尋引退…他球団からオファーなく決断、球団はスタッフ入り要請

プロ18年目のシーズンを終え、他球団でプレーを続行する可能性にかけてきたが、この日までに自身の去就について結論を出したもよう。
自身のSNSでは、23日午後2時から会見することを発表した。
 数々の輝きを放ってきた金子が、ユニホームを脱ぐことを決断した。 
 10月に自由契約となり、11月のファンフェスティバルでは「他球団からの話を待っています」と現状を報告。 
 これまでのオフと同様にトレーニングも続けていたが、NPBの他球団から正式なオファーは届かなかった。  
 トヨタ自動車から04年ドラフト自由枠でオリックスに入団。 
 プロ1年目は故障などで1軍登板がなかった。 
 「だからこそ、自由枠で獲ってくれた球団への恩は忘れない」と感謝の思いを持ち続け、エースとして飛躍。 
 10年は17勝で最多勝を獲得した。14年には2度目の最多勝と最優秀防御率に、パMVP、沢村賞、ベストナインを受賞して計5冠。 
 オフには大きな注目を集めた。 
  同時期に国内FA権を取得し、国内の複数球団をめぐる争奪戦に発展。 
 夢でもあった米大リーグに挑戦する可能性もあったが、オリックスに残留した。 
 16年5月には、節目の通算100勝。プロ1年目の仰木監督をはじめ、歴代の指揮官の期待に応えてきた。 
  35歳だった18年オフには、自由契約で日本ハムへ移籍。当時の栗山監督から電話で 
 「千尋がどこ(のチーム)でプレーしたいとかは、とりあえずいい。 
 俺は千尋と一緒にやりたい。一緒にやろう」と伝えられた言葉は心に響いた。 
 19年には8勝するなど、在籍4年間で71試合に登板。 
 プレーだけでなく、野球に取り組む姿勢は上沢や吉田ら後輩投手の模範であり続けた。 
  過去の球団OBでは、中嶋聡(現オリックス監督)や矢野謙次(来季からアマスカウト)らが米国へのコーチ留学を経験。 
 日本ハムは指導者の資質を評価し、スタッフとしてのチーム残留を要請しており、金子も同じ道をたどる可能性がある。 
 通算130勝94敗5セーブ、防御率3・08。プロ生活で1度もリーグ優勝、日本一こそ達成できなかったが、18年間の功績は決して色あせることはない。 
  ◆金子 千尋(かねこ・ちひろ) 
 1983年11月8日、新潟県生まれ。39歳。長野商2年時の2000年春にセンバツ出場。 
 トヨタ自動車から04年ドラフト自由枠でオリックス入団。 
 10年に最多勝、13年に最多奪三振。14年は最多勝と最優秀防御率の2冠で、沢村賞とリーグMVP。 
 18年オフに日本ハム移籍。通算387登板で130勝94敗5セーブ、防御率3.08。180センチ、77キロ。右投左打。年俸2000万円。 
 12/23(金) 2:00 
 https://news.yahoo.co.jp/articles/b2ca7fa6639a83ae72ba045b36d6ef47ebf7e3fc 
 
		  	      
      







 
 
		                   
		                   
		                   
		
		                   
		                  