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水戸藩主・徳川斉昭がペリー殺害を計画…攘夷など示す書簡16点、倉敷で発見
書簡が見つかった江戸末期から塩田開発で栄えた旧野崎家住宅には、約10万点の史料が保管されている。今回はその中から、書簡16点のほか、約90点の史料が見つかり、2014年から岡山県立博物館が調査してきた。旧野崎家住宅を管理する公益財団法人・竜王会館が20日、発表した。
斉昭は最後の将軍・慶喜(よしのぶ)の父で、「尊王攘夷」を唱える改革派を重用。藩校「弘道館」を開設するなどして藩政改革に取り組んだ。
見つかった書簡は、斉昭が幕府の海防参与の職にあった1853~55年頃に書かれたとみられる。
「夷人(いじん)焼殺ノ件」と朱書きされ、黒船で江戸の手前まで乗り付けたペリーら米の使節を「墨夷(ぼくい)」と呼び、抹殺する案を詳細に書き付けている。
書簡で斉昭は「仕掛けをした屋敷に入れてしまえば一度に焼き殺せるのではないか」「江戸城内の大広間で上官らに酒をたっぷりと飲ませて頭をはね(中略)品川の辺りに待機したものには狼煙(のろし)を上げて知らせる。船中に残ったものも残さず切り捨てられる」といった計画を記している。
調査した県立博物館の横山定副館長は「腹心の東湖に率直な意見を述べており、一貫した攘夷思想を唱えた斉昭らしさが、うかがえる印象的な書簡で、貴重な発見だろう」と話している。
約90点の史料の中には大久保利通、木戸孝允、岩倉具視ら幕末に活躍した人物の書簡もあり、岩倉に対し、大久保が朝議で取り上げる議題を事前に伝えるものや、木戸が手紙などへの礼を述べる内容が含まれている。
読売新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/172e1d3eda022c45ee7aa54d98528a104c11ac17