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阪神を救ったかもしれない“幻のカブレラ入団” 甲子園で漏れた野村監督のため息
引用元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1671414648/
アレックス・カブレラ内野手は2001年から西武に加入し、大活躍した。2002年には王貞治氏とタフィー・ローズ氏に並ぶ当時の日本タイ記録となる55本塁打をマーク。桁違いのパワーを武器に、日本球界ではオリックスを経て、2012年にソフトバンクを退団するまで強烈な存在感を示した。
そんな大砲を1999年の台湾・和信ホエールズ時代に指導したのが元南海の立石充男氏だ。当時、阪神監督を務めていた恩師の野村克也氏に獲得を薦めたという。
立石氏は1998年から台湾に渡ったが、当初はそんなつもりはなかったという。元南海の李来発氏がその前年から和信ホエールズの監督を務めたが、結果を残せず、2年目に向けての“補強”で立石コーチに白羽の矢が立った。
「来てくれないかって電話があって、1週間、断わっていたんですけどね。ウチの嫁さんに、これだけ熱心に誘ってくれるなら、行ったらどうって言われて、単身で行くことにしたんです」。
「無茶苦茶、打ちますよって言ったら、野村さんは『そうか、じゃあ獲りにいく』って言われたので、獲るのだろうと思ったんですけどね。調査には来ていたそうです。まぁ、何か事情があったんでしょうね」。その後、カブレラはダイヤモンドバックスを経て2001年に西武入り。
いきなり打棒大爆発で49本塁打、124打点をマークした。その時、近鉄コーチだった立石氏は野村監督にまたボヤかれたそうだ。「お前が言ったヤツ、獲ればよかった」と……。
そんなカブレラもしかりだが、立石氏を知る多くの関係者が、その指導能力、眼力などに驚嘆の声を上げる。それこそ、ある選手に関しては、ID野球の野村氏が「お前、どうやって教えたんだ」とうなり、闘将・星野仙一氏も「よう育ててくれた。ありがとう」と感謝していた。
その選手はドラフト2位でプロ入りし、今でも破られていない記録を持つ男。現役引退後は指導者としても力を発揮している。立石氏にとっても印象深い、忘れられない教え子の一人だった。