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東京唯一の路面電車 「都電荒川線」はなぜ残されたのか?
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東京唯一の路面電車 「都電荒川線」はなぜ残されたのか?
都電荒川線は「ちんちん電車」とも呼ばれ、1両編成の姿がとても愛らしい。
現在はワンマン運転だが、かつては車掌が乗っていた。
「ちんちん」の由来は諸説あるが、乗客が全て乗ったことを車掌が運転士に知らせるため、ベルをちんちんと鳴らしたことから――といわれている。
その音は今も健在だ。筆者は、その音を聴きたいがために乗ることもあった。
なぜ都電荒川線だけが残ったのか。
実は、都電荒川線も廃止される予定だったのだ。それを免れた理由としてよく語られているのが、 「専用軌道(道路以外の軌道)の区間が長かったから」 というものだ。
都電荒川線に乗ってみると、確かに自動車などと並走する区間はわずかである。
廃止された都電は自動車と並走することで、渋滞に巻き込まれ、定時運行ができなくなっていった。
理由はもうひとつある。それは 「バスへの代替が難しかったから」 だ。
多くの都電は代替され廃止したが、都電荒川線と並走する明治通りは当時、渋滞がひどく、バスの定時運行ができない可能性が高かった。
また、地元の存続への思いが強かった、乗降客の減少が他の都電と比べて少なかった、という理由もあったといわれている。
ほかにも、なぜ都電「荒川」線なのかという疑問もある。
都電荒川線は三ノ輪橋から早稲田までの全長12.2kmを走り、
・荒川区
・北区
・豊島区
・新宿区 の四つの区を通る(そのうち、約3分の1は豊島区を通る)。
30ほどある停留所で荒川区の停留所は13と最も多いが、それだけの理由なのだろうか。
これについては、都電荒川線の成り立ちについて知る必要がある。
都電荒川線の前身は1910(明治43)年創立の王子電気軌道だ。東京市が同社を1942(昭和17)年に買収し、市電となった。
こういった経緯から、当時を知る人たちのなかには 「王子電車(通称:王電)」 と呼ぶ人もいる。
この王子電気軌道を基に、 ・都電27系統(三ノ輪橋~荒川車庫~王子駅前~赤羽) ・都電32系統(荒川車庫前~王子駅前~大塚駅前~早稲田) として営業された。
1972年11月時点で、都電のほとんどの系統は廃止された。
前述のように、27系統と32系統も最初は廃止する方向だったが、2年後の1974年、32系統の全線と27系統の王子~赤羽間以外は正式に存続が決まった。
このときに27系統と32系統が統一され、都電荒川線という名称が付けられた。
もっとも、これは乗降客に案内するための名前であり、正式名称は別にあった。
路線は四つにわかれていて、それぞれ
・三河島線(三ノ輪橋~熊野前)
・荒川線(熊野前~王子駅前)
・滝野川線(王子駅前~大塚駅前)
・早稲田線(大塚駅前~早稲田) という名前だった。
これが1995(平成7)年度から、書類上の正式路線名も「荒川線」に統一されたのだ。