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韓国の看護師は看護してくれない、子供と親のリアル入院体験 in 韓国
韓国での入院生活は本当に面倒で大変だ。それも入院している本人ではなく、家族が大変なのだ。必ず常に誰かが付き添っていなければならないからだ。子供の場合だったりすると、24時間の付き添いが必要になる。
なぜか。韓国では看護師が看護をしてくれないから、家族が付き添って看護をなければならないのである。
なぜか先生と呼ばれる韓国の看護師
15年前、まだ筆者が日本に住んでいた時、長男が簡単な外科手術をすることになった。まだ息子は1歳で、小児外科のある総合病院での入院を余儀なくされた。
朝、受付を済ませて病室に入ったら、その病院ではもう、病院で出されるもの以外は口にしてはいけないという決まりだった。当然と言えば当然かもしれないが、手術が終わり、麻酔が覚めた時、息子は興奮状態になって大泣きした時、筆者は「ちょっと席外して下さいね」と病室を追い出され、泣き止むまですべての処置は看護師の仕事だった。
日本の病院では当たり前の光景だろう。夕食を食べて、子供を寝かしつけたら、親は帰らなければならないのである。
慣れない環境でなかなか寝付けない息子を見て、看護師さんが「いつもどうやって寝かしつけしてますか? ミルクなら出せますよ」と哺乳瓶にミルクを作って持ってきてくれた。「早く帰って下さいね。あとは私たちの仕事ですから」というオーラさえ感じられた。夜中の看護は看護師の仕事だということだ。
韓国の入院病棟では絶対にこんなことはあり得ない。5年前、末娘が何かの感染症で入院した。その時、親は24時間看護に追われた。看護師は説明と指示をするだけで、何もしてくれないのだ。入院患者が何を食べているかもまともに把握してない。すべて付き添いの保護者に丸投げだった。
韓国の看護師は看護師ではない。ただの医療補助者である。
医者の知人の話によると、韓国の看護師は大学院に行って勉強すれば出世して、昇給するのだという。だから、現場の臨床で一生懸命働こうとはあまり思わないようだ。
その話を聞いて非常に納得した。ここでも階級社会韓国が浮き彫りにされる。韓国の看護師は、話し方も偉そうなのだ。そして、なぜか「先生」と呼ばれている。
便利さと裏腹に失われる韓国の良さ
義父は入院しても、身の回りのことは自分でできたが、それでも義母が毎日朝から夕方まで付き添っていた。病院が歩いて20分の距離にあり、近かったのでそんなに負担もなかったが、老々介護の始まりを感じさせた。
このように家族が看護できるうちはまだいいが、家族がみんな働いていたり、身寄りがなかったりする人は「看病人」という人にお金を払って身の回りの世話を頼まなければならない。
その「看病人」が面倒なのだ。まずお金がかかる。仕事が丁寧な人に当たればいいのだが、いい加減な人や不親切な人に当たると入院生活は散々なものになる。主婦の井戸端会議でも「看病人」にまつわる話はよく話題に上がる。そこもまた韓国らしい。
日本人にはない概念であるが、これが韓国のリアルな入院事情だ。
昔の韓国は人情にあふれていて、みんなが異常なほどに世話焼きだった。困っている人を見かけたら、助けずにはいられない人々だった。しかし、最近の韓国は、競争社会にもまれて周りの人すべてが敵になっているのではないかとさえ、思うことがある。
この20年弱で随分と便利にはなったが、韓国の良さはどんどん見えなくなっていく。最近は、いつまで韓国に住み続けられるかなと悩むこともある。しかし、どこに住もうとも、とにかく健康が第一である。
(立花 志音:在韓ライター)