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韓国こそ茶道の起源。その証拠に「日本には茶道という地名はない」←妄想ここに極まれり、です
そもそも主張がウソなのでなんら根拠を示すことができないからです。根拠を示そうとして無理なこじつけを行い、それでさらに恥をさらすことがあります。
「茶道」もそのひとつです。
そもそも茶道が朝鮮半島に持ち込まれ、広く知られるようになったのは日本併合後。梨花女子専門学校などの高等女学校で茶道を教え始めたのが、茶道が認知される基になったのです。1930年代のことです。
当然ですが、それまでは朝鮮半島には茶道など影も形もありませんでした。
ところが、1970年代になってから「韓国にもかつては茶道があって、日本に伝えたのは我々の祖先である」という主客転倒したことを言い募る人が出現します。
松本厚治先生の著作から引くと以下のような具合です。
(前略)
当然、茶道といえば日本の茶道しかなかったのだが、一九七〇年代にいたって韓国茶道を喧伝する人々が現れた。
そのうちの一人(姜洙吉きょうしゅきつ)によれば、韓国の茶道(タド)を体系化するため昔の形式を探したが、資料がなく壁につきあたっていた。
たまたまその頃、ソウルで裏千家の大茶会があり、それが飲み方、茶室の作り方を考えるきっかけになったという。
日本茶道のなかに韓国文化が入っており、それを取り出しているというのだが、資料も伝承もなく、すべて茶道(さどう)をもとにしているのだから、造作というしかないだろう。
(後略)
⇒参照・引用元:『韓国「反日主義」の起源』著・松本厚治,草思社,2019年03月04日 第1刷発行,p302
※強調文字、赤アンダーラインは本記事筆者による(以下同)。
韓国茶道なるものの昔の形式を探したのですが、資料も伝承も何もなかったので、裏千家の大茶会を見て閃いたというのです。資料が何もないのは、そもそも韓国には茶道がなかったからですが、「なかった」とは考えないようです。
日本人が「韓国の茶道なるもの」を見ると、「日本からパクった」と思うのは当然のことです。本当にパクったものだからです。
裏千家の作法の中に、韓国茶道なるものを勝手に見い出して、それを「あった」としている点はスゴイとしかいいようがありません。
妄想ここに極まれり、です。
韓国の皆さんが日本の京都を見て「百済がここにある!」と言うのとそっくりです。何もないので日本にあるものを自分のものだと主張するしかないのです。
「朝鮮半島に茶道があり我々が日本に伝えたのだ」という噴飯物の主張を補完するために、さらに愚かな主張をしている人もいらっしゃいます。しかもそれが、底の浅いウソだとばれた例です。
同じく松本先生の著作から引いてみます。
(前略)
茶道研究家金明培は、日本には茶道という地名はないが、韓国には茶道面(村)があり、この唯一無二の地名が韓国茶道の悠久の歴史を代弁していると書いている。
しかし、この村は一九一四年に茶庄面と道川面が合併して生まれたもので、茶道とは何の関係もない。
引用される朝鮮の茶文献も中国茶書の引き写しで、こんなものしか挙げられないのは、要するにほかに何もないからである。
(後略)
⇒参照・引用元:『韓国「反日主義」の起源』著・松本厚治,草思社,2019年03月04日 第1刷発行,pp302-303
韓国茶道の悠久の歴史を代弁する証拠、などと大上段に振りかぶった「茶道村」は、実は併合後の1914年に2つの村が合併してできた村名だったのです。
図らずも、これこそ悠久の歴史などこれっぽっちもない証拠といえるでしょう。読者の皆さんも韓国茶道などという話を信じないでください。ウソですから。
(吉田ハンチング@dcp)
https://money1.jp/archives/95005