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南野拓実「じゃあ、俺が行く」知らなかったPK戦の立候補制
南野は、森保監督がPKのキッカーを立候補制で決めることをその時まで知らなかった。しかし、延長戦で決着がつかず、全員で集まったものの、自ら手を挙げる選手は現れない。5秒ほどがたった。
「じゃあ、俺が行く」
PKには自信があった。「自信があったから、1番か5番を蹴りたいと思っていた」
ゴール前へ進み、クロアチアのGKと向き合った。「1番が決めるか、決めないかはその後の流れを左右する」。分かっていたが、ゴール右寄りへ蹴ったボールに、GKは飛びついてきた。2番手の三笘薫もGKに阻まれる。流れはクロアチアに傾き、敗戦が決まるとピッチに膝から崩れ落ちた。
悔しさ、自分への怒り、チームへの申し訳なさ……。駆け寄ってくれる仲間の励ましが「痛かった」。「自信はあったけど、結局、それでチームに迷惑をかけた。相手のGKをのせてしまった」。責任を痛感し、どうしても前を向くことができなかった。
試合後、スタジアムからチーム宿舎へ移動するバスに乗る直前、森保監督から声をかけられた。「PK、1番に蹴ってくれてありがとう」。感謝の言葉はさらに続いた。「大会では大変な役回りになったけど、嫌な顔一つせず、チームを支えてくれてありがとう」。監督の言葉に答えようとする顔はぐしゃぐしゃだった。「PK外して、すみませんでした」
欧州のビッグクラブ、リバプール(イングランド)などを経て迎えた初出場のW杯はドイツ代表戦、コスタリカ代表戦、クロアチア代表戦の3試合で、いずれも後半からの途中出場にとどまった。
「4年後のW杯でリベンジしたい。選手としてレベルアップして絶対にこの場に帰ってきたい」。背番号10は、人生最悪の日からはい上がっていく。
読売新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7bb7e4b2c541e07aeaeab791ec884cac538c97d