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筆者の母校には、朝鮮民族の詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩碑がある。
同志社大学・今出川校舎の一角にひっそりと建てられているため、学生がこの詩碑の真ん前を通ることは滅多にない。今出川校舎を利用していたことのある筆者でも、学生時代には1、2度しか見に行ったことがない。卒業後は、韓国に住むようになってから1度訪れたくらいだ。
同志社大学の学生であっても、尹東柱という人物がどんな人物であるのかはもちろん、このような詩碑があったことすら知らずに卒業する学生も少なくない。
尹東柱は中華民国吉林省延吉県明東村(現:中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治州龍井市明東村)で生まれた詩人で、短い期間であったが同志社大学の文学部英文学科選科で学んだことがある。その縁から、キャンパス内に彼を偲ぶ詩碑が建てられた。
彼が韓国で最も有名な詩人として現代の韓国人に愛されている理由は、京城(現:ソウル特別市)の延禧専門学校(現:延世大学校)文科に在籍していたからだ。そして、福岡刑務所で謎の死を遂げたという彼の最期が、韓国人の脳裏に尹東柱という名前をより一層刻ませている。彼は日本に殺された同胞の一人なのだ。
なお、2022年12月2日、反日教授として日本で名の通っている誠信女子大学校の客員教授、徐?徳(ソ・ギョンドク)氏が自身のインスタグラムで、「中国の百度(バイドゥ)百科では、詩人・尹東柱の国籍を今でも「中国」、民族を「朝鮮族」と記載している。本当に言葉にならない」と述べて中国を批判した。
だが、一部の資料によると尹東柱の存命時は日本籍だったとあるから、徐氏の主張も中国側の主張も正しいかと聞かれれば疑問が残る。
韓国の地下鉄のホームに設置されているスクリーンドアには、2016年7月から自国の有名な詩人の詩が書かれるようになった。尹東柱の詩も、そこにいくつか書かれている。
日本統治時代に生きていた韓国人たちは、日本によってハングルの使用を禁止されていたという。韓国側の主張が正しいかどうかはさておき、彼が延禧専門学校に在籍していた期間、朝鮮語担当の崔鉉培(チェ・ヒョンベ)から朝鮮語を学んでいたという。日本本土への大学進学のために創氏改名まで行ったそうだ。
話を戻そう。2022年11月29日、中央日報から「韓半島の文化のDNAが伝わり、京都が最高の観光地に」という記事が出た。李承信(イ・スンシン)という女性を紹介する記事で、記事内にはその女性と尹東柱の詩碑を写した写真も載せられていた。
短歌は韓国から伝わった」と中央日報は報じるが
彼女は短歌詩人・孫戸妍(ソン・ホヨン)氏の娘だ。
中央日報の記事によると、「孫戸妍氏は日本の伝統詩歌・短歌を日本人より巧みに書く詩人だった」そうだ。
記事の中には「母は私たちの先祖の詩が日本に渡って短歌になったことを知り、『1000年以上消えていた私たちの詩を私だけ書いているんだ』という使命感で短歌を守った」という李氏のコメントも紹介されていた。
筆者は短歌が韓国から伝わったという話を一度も聞いたことがない。
そこで気になって調べてみると、「近代いわての歌人・俳人」というサイトには「短歌の起源についてはっきりしたことは分かっていないが、日本最古の和歌集『万葉集』の存在から、奈良時代には既に短歌は詠まれていたと考えられている」と紹介されていた。
韓国のナムウィキ(韓国版ウィキペディア)にも同じ説明が書かれていたのを見る限り、短歌の起源は日韓両国ともに解明できていない。
中央日報の記事では続いて、
「百済(ペクチェ)滅亡後、王族や貴族、当時の知識人が京都に移住して花咲かせた文化が千年以上伝統として定着し、命脈が受け継がれてきたではないか。私たちから消えていったものが京都にあり、京都が今日、世界最高の観光地になる土台になった。そのとてつもないDNAが私たちから始まったのだから、そういった自負心で未来の希望をつかみ、前に進まなければならないと思った」
「多くの日本人が韓国を好きになって許しを求め、膝をついたりもしているだけに、政府や政治家に両国関係の改善を任せずに、民間人が互いに交流し勉強してより良い関係を築いていくことを願う」
とも書かれていた。