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韓国の「恨」の文化 「日本人と韓国人は根本的に合わない」と言われる所以
「韓国」に長く住む私が、「ハロウィン事故」の“後”に見て聞いて「心底ウンザリ」した“ヤバすぎる現実”…!
(前略)
◆「恨」の文化
また、おなじみの市民団体のデモを見ていても攻撃対象を定めることによって主張と結束が強まっていくことを見ると、韓国では「痛みや悲しみを分かち合い相手を思いやる」という概念や理性よりも「傷口をえぐるかのような言動」や「意にそぐわないものは徹底的に攻撃する」ということによって世論が盛り上げられているような気がしてならないのである。
そして、こうした感情表現は教育においても見られ、矛盾を感じざるを得ないと言える。
例えば、韓国では国際結婚家庭の増加にともない「様々な国を理解する」ということを目的に「多文化教育」が盛んに行われている。しかし、その反面で、日本を敵視した教育も平行するとは矛盾してると言える。
いくら「相互理解」、「国際化」などと耳障りの良いことを言いながら「歴史問題」と称して特定の国である日本を標的に攻撃するかのようなことを教育を通じて平然と行うことは、子ども達に対する愛情すら感じられない。
こうした韓国人の意識は時として「恨(ハン)の文化」とも呼ばれ、それは「恨みやつらみの感情の中に無念や悲哀、柵からの解放欲求、(恨の対象となる相手への)憧憬や妬みといった様々な感情を表す」とされている。
◆私が「うんざり」したワケ
これを聞けば日本人が悲しみや苦しみに対する感情が「静」であるのに対し、韓国人は「動」というイメージに近いにのではないかと思う。
前述の事故や教育の場においても同様のことが言えると同時に、「相手の立場や気持ち」よりも「自身の感情」が優先されていると感じられる。
だからこそ、こうしたことが「日本人と韓国人は根本的に合わない」と言われる所以でもあり、韓国の自分本位の主張や行動を外交の場でも行うと通用せずに失笑を買うという結果になっているのもまた事実なのである。
(以下略)