阪神ドラ2・門別啓人 小学生時からすでに“怪物”外野守備で何度も「センターゴロ」

阪神ドラ2・門別啓人 小学生時からすでに“怪物”外野守備で何度も「センターゴロ」

阪神ドラ2・門別啓人 小学生時からすでに“怪物”外野守備で何度も「センターゴロ」

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 10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~6位・育成1位)の連載をお届けする。第2回はドラフト2位の門別啓人投手(18)=東海大札幌。

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 プロ野球選手への道、投手への扉を開いたのは父・竜也さんだった。自身も草野球チームに所属しており、門別が左利きと分かった瞬間に投手にすることを決意。「絶対に右利きにさせないでくれ」。母・実保さんに、そう頼んだ。

 幼稚園の頃から週1回、父の草野球チームの試合に連れられていった。最初は遊んでいただけだったが、徐々に興味を持ち始めてキャッチボールを開始。運動神経抜群でバスケットボールやサッカーも好きだったが、「キャッチボールが楽しかった」と自然と野球にひかれていった。

 家族ぐるみの付き合いだった金村佳嗣さんは、その頃からすでに“怪物ぶり”を察知。「力を入れず、ボールを腕のしなりで投げていた。同じ年の子の倍は遠くに投げていて、天性だなと」。大エースになることを予感していた。

 父以外にも門別の人生に大きな影響を与えた人物がいる。金村さんの息子である翔弥さんだ。一つ年上の翔弥さんとは同じ幼稚園、小中高に通い、小学校から高校まで野球チームも同じ。気がつけば、ほぼ毎日ずっと一緒にいた。小学1年で富川野球スポーツ少年団に入ったのも、翔弥さんが所属していたから。見学に行って即入団を決めた。

 「小1から投げる球がすごかった」と翔弥さんも非凡さを感じていた。門別は小学生の時に外野も経験し、中前への打球を一塁に送球してアウトにする「センターゴロ」を1試合で何度も見せるなど、すでに強肩ぶりを発揮していた。小学生の時から持ち味である「クロスファイア」を練習。ギリギリを攻める中でも制球が良く、死球はほとんどなかった。翔弥さんは紅白戦で打席に立った際、当時中学2年だった門別の内角ぎりぎりの直球に驚いた。「初めて怖いと思ったのは啓人の球だった」と振り返る。

 二人は小学生の頃から、坂道ダッシュや北海道ならではのスケートでトレーニングするなど切磋琢磨(せっさたくま)。門別は中学に上がる際、軟式か硬式かで悩んだが、そこでも翔弥さんが所属していたこともあり、富川中学校の軟式野球部に入部し、二人とも投手を務めた。

 「今までで一番のライバルは金村さん。たくさん教えてもらって、金村さんのおかげでここまで成長できました」。“兄弟”であり、親友であり、ライバルでもあった翔弥さんがいたから、今の門別がある。

 【アラカルト】

◆生まれ 2004年7月10日生まれ。北海道日高町出身

◆サイズ 183センチ、86キロ

◆球歴 小学1年からJBC日高ブレイヴで野球を始め、富川中では軟式野球部に所属。東海大札幌では1年秋からベンチ入り。最速150キロ

◆球種 直球、カーブ、スライダー、ツーシーム、チェンジアップ

◆足 50メートル走6秒1

◆遠投 100メートル

◆好きな歌手 清水翔太

◆好きな芸能人 広瀬すず、那須ほほみ

◆好きな言葉 「迷ったらつらい道を選べ」

◆好きな食べ物 焼き肉(特にタン)

◆特技 サッカー、バスケットボール

◆趣味 漫画を読むこと(主にスポーツ漫画)

◆おはこ シャ乱Qの「シングルベッド」

◆家族構成 父、母とトイプードル2匹

https://news.yahoo.co.jp/articles/46a134dd43d879a194022d755fd433a394e5fad6
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