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1: 風吹けば名無し 2022/11/24(木) 14:50:17.12 ID:bUc/CJG/0
2022年のプロ野球を「言葉」で盛り上げてくれたのは、なんと言っても新庄剛BIGBOSS。ただ、来季のプロ野球にはもうひとり、野球ファンを楽しませてくれそうな独特のワードセンスを持つ監督がいる。阪神・岡田彰布新監督だ。その名言・迷言たちは岡田監督の愛称“どんでん”(現役時代に出演した「味の素」のCMに由来)にちなんで、「どん語」「どんコメ」「どんでん語録」とも呼ばれている。なかでも印象的な5つのフレーズをお届けする。
第5位:「休まへんのが4番。それだけよ」
→2004年の第一次政権時に、「4番で起用し続ける」と宣言した金本知憲に対しての言葉
就任会見で「期待してもらって結構です」という名台詞を生んで始まった第一次岡田阪神(2004~2008)。この時代を象徴する選手といえば4番を張り続けた金本知憲だ。前年までは3番が定位置だったが、岡田監督は「4番金本」にこだわりつづけた。
そんななか、球史に残る名場面が生まれたのは2004年7月30日。前日の試合で左手首に死球を受けて剥離骨折を負いながら、変わらず4番として先発出場を果たし、右手だけで2本もヒットを放ってみせた。
実は死球を受けた29日時点で、金本は連続フルイニング出場が698試合目。日本記録である700試合連続フルイニング出場が目前だっため、「記録のための出場ではないか」といった否定的な声もあがるなか、岡田監督の放った「どん語」がこの「休まへんのが4番。それだけよ」だ。
結果的に休まなかったことで、2日後の8月1日には連続フルイニング出場の日本新記録を樹立。連続フルイニング出場は2010年に途切れるまで「1492試合」まで続く不滅の大記録となった。
そんな「岡田の教え」を学んだのがこの年の阪神ルーキー、鳥谷敬。休まないことが当たり前、という美学を受け継ぎ、のちに鉄人・衣笠祥雄に次ぐ歴代2位の1939試合連続出場を果たすことになる。
→就任1年目の2004年9月22日、自力優勝消滅を記者から聞かされて
ネットを賑わす有名な「どんコメ」のなかでも、上位にランクされるであろう“パワーどんコメ”といえば、記者からの問いかけに対してまず発してしまう「そらそうよ」と、この「あっホンマ…(絶句)」だろう。
このフレーズが登場したのは、2004年9月23日の日刊スポーツ紙面にて。前日、自力優勝が消滅したことを記者から問われた際に発した言葉だった。
この日から18年たった今もファンの間で愛される続ける言葉になるとは、この記事を書いた記者も想像できなかったに違いない。
この当時の日刊スポーツには「岡田語録」というコーナーがあり、そこでこのフレーズが紹介された。
日刊スポーツは来季、「岡田語録」ならぬ「どんでん語録」のコーナーは設けるのだろうか?
→2010年6月4日。オリックスの監督就任1年目、阪神との交流戦で生まれた言葉
オリックス監督時代(2010~2012年)に生まれた「どん語」からもひとつ紹介したい。古巣・阪神と戦うことになった初めての交流戦。試合は5対0と阪神がリードして迎えた7回裏、一死1、 3塁の場面で一塁走者の阪神・藤川俊介が盗塁を敢行した。
試合はそのまま阪神が勝利したが、その後の会見で岡田監督から飛び出たのがこの「やってしまいましたなあ」。大差でリードしている攻撃側の盗塁は「野球の不文律」に反するという、岡田監督から阪神首脳陣への口撃として発せられた「どん語」だった。
→2008年10月20日。第一次政権最終戦で決勝弾を打たれた藤川球児への言葉
最大13ゲームもの大差をつけて首位を独走しながら、巨人にまさかの逆転優勝を許した2008年の岡田阪神。辞任を表明して臨んだ中日とのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ第3戦でこの名言は生まれた。
試合は0対0で9回へ。阪神のマウンドは絶対的守護神の藤川球児。二死2塁で打席には中日の主砲・ウッズ。3ボール2ストライクから投じた150キロの真っすぐは、まさかの決勝2ランに。阪神は敗れ、CSも敗退。第1次岡田政権が終焉することとなった。
試合後、マウンドで惜別の胴上げをされた岡田監督は阪神ナイン一人一人と握手。ただ、決勝弾を浴びた球児を見た瞬間、涙を抑えることができず、思わず出たのがこの「お前で打たれてよかったよ。なあ球児……」だったという(※言い回しには諸説あるが、今回は翌日のデイリースポーツに載った記述を紹介)
「どん語」といえばちょっとユルい印象を受けるが、こうした熱い、男気あふれる言い回しもあることを覚えておきたい。