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映画『シン・ウルトラマン』はなぜ賛否両論が渦巻くのか?
2022.11.18
※記事内にはネタバレが含まれます
2022年特大の話題作、『シン・ウルトラマン』。記録的大ヒット作品『シン・ゴジラ』(2016)を手がけた庵野秀明氏と樋口真嗣氏による、極上のエンターテインメント作品だ。
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基本的に絶賛モードだった『シン・ゴジラ』と比べて、SNSの反応を見ると『シン・ウルトラマン』は賛否両論が入り乱れている様子。実は、筆者も少なからず本作に対しては否定的な意見を抱いている。という訳で、ここからは(かなり偏った)私見を述べさせていただきます。
思えば『シン・ゴジラ』は、登場人物の内面描写がごっそりと削ぎ落とされた映画だった。日本が太平洋戦争の降伏を決定し、8月15日正午に玉音放送を流すまでの24時間に焦点を当てた岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』(1967)を参考にしただけあって、怪獣映画というよりもディスカッション・ドラマとしての面白さに満ちていたのだ。人物描写よりも状況描写に特化した、極めて特異な作品と言える。
『シン・ウルトラマン』もこの「人物描写よりも状況描写に特化」路線を踏襲している。だが、「空想と浪漫。そして、友情。」というキャッチコピーが指し示している通り、実は『シン・ゴジラ』よりも『シン・ウルトラマン』は遥かにヒューマンで、エモーショナルな作品。自分の生命を投げ打ってまで人類を救おうとするウルトラマン=神永新二の想い、そして浅見弘子とのバディ関係が、ストーリーを牽引する原動力となっている。にも関わらず、肝心の人物描写が希薄なために、そこに説得力が生まれていないのだ。
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もう一つの所以は、ウルトラマンがヒーローとして活躍する場面が圧倒的に少ないことだ。
人類は、第2の事件で初めてウルトラマンが“正義の味方”であることを認識するが、第3の事件で疑いの目を向け、第4の事件で神永新二の正体がウルトラマンであることを知ってしまう。最近のポスト・ヒーローものにはよくある展開だが、ヒーローがヒーローとして活躍する場が奪われ、その圧倒的な戦闘能力ゆえに人類から奇異の目を向けられる存在に成り下がっている。端的に言えば、血湧き肉躍るカタルシスが欠如しているのだ。
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初代ウルトラマンって、ウルトラQの流れだから、感情とか、内面描出が希薄な作りだったじゃん。
その後のウルトラマンは、社会問題、青春もの、成長もの、スポ根を取り込んで、ハードSF要素が薄まっていく。
そもそも、子供向け怪獣特撮ものだから、ウルトラマンが地球を守る理由なんて、問うべきことじゃないのだよ。
ウルトラマンとゼットンの最終バトルを期待して見に行ったのに、
ゼットンが兵器になってて糞萎えたわ
原作ファンを大勢的に回したよ
ワロタ
シン・ケッコウカメンなら見に行く