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ボキャブラバブルに翻弄…デンジャラス保田和博の貧乏物語
安田 和博(やすだ かずひろ、1967年11月17日 – )は、日本のお笑い芸人、放送作家。ヤッチンと呼ばれることもある。東京都出身。太田プロダクション所属。血液型はA型。 郵便局で2年間内勤勤務した後、劇団七曜日を経て芸能界入り。1988年、ノッチと「デンジャラス」を結成、ツッコミを担当する。ノ
9キロバイト (1,074 語) – 2021年3月25日 (木) 08:59
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4/18(日) 9:06
日刊ゲンダイDIGITAL
デンジャラス安田和博「ボキャブラ」バブル弾けて仕事激減…放送作家に転身
デンジャラスの安田和博さん(左)とノッチさん(C)太田プロ
【役者・芸人「貧乏物語」】
デンジャラス安田和博さん(53歳)
1990年代の「ボキャブラ天国」でブレークしたお笑いコンビ・デンジャラスのメンバーで、今は放送作家としても活動する安田和博さん。下積みからブレーク後の浮き沈み、そして作家への転身……。後輩の有吉弘行さんのラジオ番組ではアシスタント総選挙1位に輝いた話も語ってくれた。
◇ ◇ ◇
高校を卒業して、郵便局で2年間働いていたので、その後、渡辺正行さん主宰の劇団七曜日に入ってしばらくは貯金で生活できたんです。蓄えがなくなって、バイトすることになり、相方(ノッチ)が「ガードマンは早くあがれる日もあるし、雨だと中止の時もあるから、割といいよ」と言うので、自分で探してガードマンを始めました。
でも、工事現場の通行止めをしている道で、看板の前でぽつんと立っているだけで、暇すぎました(笑い)。今みたいにスマホがあるわけでもないから、時間を潰すのに苦労して。
他のバイトも経験しながら、バイト後には新宿の中央公園で稽古。なぜその場所かというと、とんねるずさんの本に新宿の中央公園でネタの稽古をしていたことが書いてあったから。「ここで稽古したら売れるんじゃないか」と安易に考えて。結局は1年でやめましたけど。
テレビに出始めても事務所をやめたので、すぐに仕事がなくなり、バイトはやめられず。今の事務所に入れたのが23か24歳の時かな。僕らまだ若くて「俺たちは絶対、面白い!」と自信があったから、「給料制でこのくらいくれなきゃ入らない」と事務所に条件を出したんです。強気な割に提示した金額が毎月18万円(笑い)。僕らにとっては芸能生活だけで18万円もらえるって、すごいことだったから。そしたら、あっさりOKが出た(笑い)。
■歩合制になって一気に月収5万円に!
その直後、学園祭とかメチャクチャ回りましたよ。これなら歩合制にしてもらった方がよかった……と思いました。給料は上がりましたけど、そのうち仕事が減ってきたら事務所から歩合制になると言われ、最も少ない月だと5万円くらいになっちゃって。
「こりゃヤバイ」と焦って、事務所の人に、当時人気番組だった「ボキャブラ天国」に「出たい」と相談。芸人のコーナーばかりになる改編期のタイミングで、僕らを出られるようにしてくれました。これが大きかったですね! 冒頭の方で「ノッチです!」と言うフレーズもハマりましたし。
おかげで営業もバンバン入り、歩合だから生活が劇的に変わりました。ボキャブラバブルって呼ばれてましたから、バブルははじけるもので、また仕事が減って。
全文はソース元で
(出典 amd-pctr.c.yimg.jp)
https://news.yahoo.co.jp/articles/84ca12d9cb3237a17b84cfabd764f306b77c79b0