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「生理になると先頭で逃げたくない」25歳で突如引退大分のアイドルジョッキーが直面していた性差「競馬場では男子トイレを使っていました」
https://number.bunshun.jp/articles/-/855122
「元祖アイドルジョッキー」という表現は、男女平等を目指す現代においてはやや時代錯誤かもしれない。しかし、90年代の人気バラエティー番組「さんまのナンでもダービー」に出演し、ファンからはバラの花束を贈られたり交際を申し込まれたり、というエピソードを聞くと、その表現がしっくり来るほどの人気ぶりが伝わってくる。
注目の的になっていた今回の主人公は小田部雪(こたべ ゆき)さん。1994年、大分県にある地方競馬・中津競馬場でデビューした女性騎手は、アイドル的人気を博すも不況による競馬場の廃止、移籍、引退と激動の20代を送った。
JRAではルーキー・今村聖奈騎手の活躍が注目を集めるいま、佐賀競馬の専門紙「馬物語」の予想家として約20年ぶりに競馬界に戻ってきた彼女の半生を追った。(インタビュー記事全3回のうち第1回/続きは#2、#3へ)
父から言われた「お前がなれるわけない!」
――父・磨留男さんは元騎手で、小田部さんが5歳の時に調教師に転身しました。小田部さんも騎手を目指すのは自然な流れだったのでしょうか?
小田部雪(以下、小田部) うちには兄と弟2人がいて、兄は中学校に入ってすぐ背が伸びて体重も増えたので騎手になれず、両親は弟が跡を継ぐと考えていたみたいです。「なんで私を飛ばして弟なの?」と思っていて、まずは母親に「私が騎手になりたい」と伝えました。そしたら、「え、アンタがね? 一人娘なのに」と。
――男兄弟の誰かが騎手になると思っていたんですね。
小田部 その後、父にも話をしたんですけど、父は “ザ・昭和の親父”で、たまにちゃぶ台をひっくり返したり、こたつの太い脚を折ってしまうような人でした。とても厳しかったので、「お前がなれるわけない! そんな甘い世界じゃないぞ」と2時間、説教されました。競走馬は男性でも抑えられないことがあるのに、ましてや女性となれば気がかりだったでしょうし、父自身も騎手時代に落馬して怪我を何度もしていたので、なれるわけがないと思っていたんじゃないですかね。泣きながら「1回、試験を受けさせてください」とお願いをして、騎手になるための地方競馬教養センターを受験させてもらいました。
デビューの日、「私を見らんで」と逃げ込んだ更衣室
――それほどまでして騎手になりたいと思った理由はなんだったんですか?
小田部 中学2年生の秋に父の厩舎からデビューする騎手がいたんです。中津は田舎の競馬場で、普段は取材もそんなに来なかったんですけど、デビューを控えて取材を受ける姿を見て「かっこいいな」と思いました。当時、中津競馬の売り上げは少しずつ落ちていて、子供ながらに廃れていっているのを感じていました。男社会の中で、女の私が騎手になったら話題になってお客さんも増えてくれるかも、と考えました。
――期待通り、デビュー日から多くのマスコミが来たそうですね。
小田部 もう、めっちゃ恥ずかしかったです。実際に自分が取材を受けると、「そんな見らんで(見ないで)」と思いました。
――デビュー前に描いていたものとギャップがあったんですか?
小田部 取材やお客さんの数が想像以上だったんです。「最年少17歳デビュー」と新聞にバーンと出たので、お客さんも集まっていただいたんだと思います。
デビューの日は騎手として右も左も分からなくて、父がたぶん他の調教師にお願いをしてくれて「乗っているだけで勝てるだろう」と言われるような強い馬に乗せていただいたんですけど、緊張してペース配分も何も分からず、ゴール前でタレて3着。負けて帰ってきたのに、レース後は写真を撮られて恥ずかしいし、取材に来た人たちとも会いたくなかったです。勝っていたら、また気持ちも違っていたんでしょうけどね。デビューに合わせて装鞍所(馬がレースの準備をする場所)の一部を改装して、畳の部屋と洗面台を置いて更衣室にしてくれたんですけど、そこに隠れていました。でも、扉を開けた瞬間、またカシャカシャってシャッター音がしていました。
仲良く喋っているだけで「付き合っている」と噂されました
――まさに一挙手一投足が注目されていたんですね。一緒に仕事をする競馬関係者の間でも、プライベートや恋愛関係など噂をされたことは?
小田部 自販機にジュースを買いに行った時、偶然会った人と仲良く喋っていると、「付き合っている」と噂されました。中学生みたいですよね(笑)。車に一緒に乗っているのを見られると格好の餌食でした。でも、もうしょうがないと思って噂は受け流していて、堂々と同年代の騎手たちと一緒に遊びに行っていました。
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