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【朗報】コロナ禍が後押し?藤井フミヤ、チェッカーズの楽曲を解禁
藤井 フミヤ(ふじいフミヤ、1962年(昭和37年)7月11日 – )は、日本のミュージシャン、俳優。元チェッカーズのリードボーカル。福岡県久留米市出身。本名および旧芸名は、藤井 郁弥(読み同じ)。弟は元チェッカーズのサックスプレイヤーでミュージシャンの藤井尚之。長男はフジテレビアナウンサーの藤井
76キロバイト (3,666 語) – 2021年4月4日 (日) 23:02
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1992年のチェッカーズ解散後、デビュー曲の『ギザギザハートの子守唄』や『涙のリクエスト』を封印してきた藤井フミヤ(58才)。
3月27日に放送された、特別番組『激レア! 藤井フミヤ ギザギザハートからTRUE LOVE!』(NHK BSプレミアム)で29年ぶりに披露したのに続いて、現在、行っている全国ライブ『藤井フミヤ コンサートツアー 2020-2021“ACTION”』でも、熱唱してファンを喜ばせた。
これらの曲を作曲したのは、中森明菜の『少女A』、岩崎良美の『タッチ』など数々の名曲を生み出した有名作曲家・芹澤廣明氏。
チェッカーズ解散後もソロとしてヒット曲を連発し、定期的にライブも開催しているフミヤだが、芹澤氏の手掛けたチェッカーズ時代の曲を人前で歌うことはなかった。
その背景には、フミヤと芹澤氏の確執があると言われてきた。メンバーの高杢禎彦(58才)は2人の間に金銭問題があったと著書『チェッカーズ』の中で綴っている。
今回、芹澤氏の楽曲を解禁したのはなぜなのか。
「昨年9月、フミヤさんから芹澤さんに連絡をしたんです。コロナで疲弊している人たちに元気を届けられるなら、と芹澤さんと話すことを決めたそうです」(テレビ局関係者)
真相についてフミヤを直撃した。紺色のキャップに紺色のパーカー、黒のスウェットパンツ姿で愛犬の散歩をしているところを声をかけた。
──『ギザギザハート~』などをずっと封印していたのはなぜですか?
「チェッカーズの曲をおれがひとりで歌って、それをビジネスにするのは抵抗があったんだよね……」
──芹澤さんとは長年にわたる確執があったようですが。
「確執とかじゃないですよ。当時、芹澤さんが作ったチェッカーズの曲のカバーを、レコード会社がこちらに挨拶もなしに作ろうとして、礼儀に反していると思っただけです。だから芹澤さんも『フミヤくんのせいじゃない』って、言ってくれました」
──では、けんか別れしたわけではない?
「そうだね。お会いしたとき、芹澤さんも『どんどん歌って』って言ってくれたし、これからも曲を書いてくださいっていう話もして」
4月15日発売の『女性セブン』では、「チェッカーズ復活と母との別れ」とのタイトルで、チェッカーズや亡き母へのフミヤの思いなどについて詳報している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f049fa4167126a9f20a912bac4cf8fa9fbba0f6e
4/14(水) 16:05配信
チェッカーズ ギザギザハートの子守唄