「ボクは巨人から捨てられた」前年4勝で放出された32歳の西本聖が、新天地で20勝投手になれた理由

「ボクは巨人から捨てられた」前年4勝で放出された32歳の西本聖が、新天地で20勝投手になれた理由

「ボクは巨人から捨てられた」前年4勝で放出された32歳の西本聖が、新天地で20勝投手になれた理由

1: 名無しさん@恐縮です 2022/10/17(月) 12:54:26.21 ID:CAP_USER9
週刊ベースボールONLINE 10/17(月) 11:02

誰もが順風満帆な野球人生を歩んでいくわけではない。目に見えない壁に阻まれながら、表舞台に出ることなく消えていく。しかし、一瞬のチャンスを逃さずにスポットライトを浴びる選手もいる。華麗なる逆転野球人生。運命が劇的に変わった男たちを中溝康隆氏がつづっていく。

巨人では“一匹狼”
巨人時代の西本。左足を高く上げる投球フォームが特徴的だった

 しのぎを削った同世代のライバルはすでに引退して、オレのポジションは若手選手に奪われた。

 そろそろ潮時かもな……。周囲だけでなく、自分すらもそう思う。かつて、そういう状況から移籍を機に劇的な復活を遂げたベテラン選手がいる。元巨人の西本聖である。74年に長嶋巨人の一期生として松山商からドラフト外で巨人入り。実は明治大への入学が決まりかけており、ドラフト外という低い評価に「裏切られた」という怒りもあったが、周囲の強い勧めもありプロ入りを決断した。当初は甲子園のアイドルで同期のドラ1定岡正二を強烈にライバル視するも、3年目に8勝を挙げて先を行くと、その次は1つ年上の怪物投手をターゲットにする。“空白の1日”騒動で入ってきた江川卓に追いつき追い越せと西本は燃えるのだ。鋭いシュートを投げるために当時は珍しいプールトレーニングで手首を鍛え、電車内では一本歯の下駄を履き続けて下半身強化。いやそれ普通に周囲の乗客に迷惑なんじゃ……と突っ込みたくなる猛練習に明け暮れ、背番号30が投げる日には自チームの試合でも「打たれろ、負けろ」と念じ続けた。

「江川さんというのは、ぼくにとってガソリンだった。ぼくという車は、ガソリンがあるから走れた」

 のちに週べのインタビューで、投手として圧倒的な才能を持つ江川の存在を「自身のガソリンだ」と語った西本は、80年代の人気絶頂の巨人で強力二本柱を形成する。81年には18勝を挙げ沢村賞と日本シリーズMVPを獲得。4年連続の15勝以上含む6年連続二ケタ勝利を記録して、球界一と称されたフィールディングで7年連続でゴールデン・グラブ賞に輝き、一時期は江川や原辰徳を抑えてチーム最高年俸選手にまで登り詰めた。しかし、財テクや株に興味を示し「たかが野球、されど野球」と飄々とプレーするライバルとは対照的に、グアムキャンプでひとり浜辺ダッシュする西本のガムシャラさはときにチームメイトからも敬遠される。記者投票で入団時のいざこざから20勝達成の江川が避けられ転がり込んだ沢村賞には、同僚からの祝福の声はほとんどなかったという。チームの和を乱すヤツ、いつからか背番号26にはそんなレッテルが貼られるようになる。『週刊読売』84年3月25日号での中畑清との対談企画では、「オレがお前に言えるとすれば、自分を殺して他の連中の中に溶け込んでいけるような余裕を持ってほしいな」と諭された。

※続きはリンク先で
https://news.yahoo.co.jp/articles/520780b4722267d92e32cd1ba6f876b0848f3003



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