【韓国】抗日、反日、克日

【韓国】抗日、反日、克日

【韓国】抗日、反日、克日

1: ハニィみるく(17歳) ★ 2022/10/25(火) 10:46:08.54 ID:dtBmgVFu
(写真)
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▲ 高麗大学校 法学専門大学院 チャン・ヨンス教授(憲法学)
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大韓民国と隣国である日本の悪縁は根深い。高句麗、百済の遺民が日本に定着していったのは論外としても、高麗時代から倭寇の猖獗によって多大な被害を被っただけでなく、壬辰の乱(文禄・慶長の役)によって朝鮮が受けた人的・物的な被害は、国家の命運を危うくするほど深刻なものだった。そして大韓帝国が崩壊して、韓半島(朝鮮半島)が日本の植民地になることで経験した苦痛と挫折は、我が民族の半万年(5,000年)の歴史から来由を見出すのが困難なものだった。

このような歴史的経験によって、大韓民国国民の間に日本に対する否定的な認識が深く根付いているのはむしろ当然であるといえる。だがしかし、日本のためではなく我々のためにこのような感情を洗練して、発展的に昇華させなければならない。このために日帝強占期は抗日(ハンイル)で、解放後は反日(パンイル)として表れた日本との関係が、今後は日本を乗り越える克日(ククイル)につながらなければならない。

日帝強占期の35年を通じて、我が民族の抗日運動は様々な形態で展開された。これらを大きく二つの類型で分けると、大韓民国臨時政府を中心にした武装独立闘争と、韓半島内外の数多くの民族指導者らが導いた民族啓蒙・民族自強運動に区分できる。

日帝強占期に我が民族の独立に対する熱望は、1919年の3.1運動を含めて様々な形態で表出され、白山商会を含めて広くは知られていない努力が数え切れないほど多かった。親日も一部あったが、それが我が民族の独立の熱望を隠すことはできなかった。むしろ親日の殻の中に、独立の熱望を育てたケースも多い。最近の日本との交流、協力自体を親日と責め立てる極端的見解も出ているが、それなら3.1運動の直前に日本で2.8独立宣言を行ったのも、日本に留学中に監獄の中で死んだイ・ドンヂュン(尹東柱)も親日だというのか?

解放直後に反日感情は極に達し、全ての交流が断絶されたことで家族と生別れとなった画家のイ・ヂュンソプ(李仲燮)のように、個人的な苦痛を受けた者も少なくなかった。解放直後の劣悪な状況の中で、あるいは6.25戦争(朝鮮戦争)後の廃墟の中で国を再建しながら、外国の資本と技術が必要な状況でも日本との修交および請求権会談に対する国民の反対が大きかったのも、このような反日感情からだった。

それでは当時の国民世論によって日本との交流・協力を諦め、日本に対する鎖国政策をエラんでいれば、果して我々が今の先進国の水準に発展することができただろうか?今現在、世界的水準に発展した浦項(ポハン)製鉄、自動車産業、半導体産業などは、日本の技術を導入しながら始まったのだ。日本を学び、日本と対等になり、日本を超える段階に発展してきたのだ。

もはや我々が日本に対する態度は抗日や反日ではなく、克日になるべきである。日本との競争で勝つように内実(内的な充実)を押し堅めるのだ。このために日本から学ぶべき部分があれば、熱心に学ばなければならない。親日と反日の枠を飛び越えれば、克日が可能なのだ。ナポレオンに占領されたドイツがフランスを学んで乗り越え、ナチスに占領されたフランスがドイツとの友好関係を深めているように・・・。

我々が反日感情を克服し難いように、日本国内の嫌韓感情も侮れない。ところが、このように日本で私我々を無視して見下していたことが、我々が日本から学んで日本を超えることができた主要原因の一つという点は考えてみたのだろうか?屈辱的な『敵との同衾(共寝)』と思っても良い。これに耐エラれなければ勝つことはできない。

日本に勝つためには、冷静な知彼知己(彼を知り己を知ること)が必須だ。日本は無条件に嫌いだという反日感情に包まれ、日本を敵対する場合の得失を冷静に計算すべきである。そして今からは感情に忠実になるより、長期的な視線で韓日関係を発展させるべきである。日本を過小評価するよりも、冷静かつ客観的な評価を前提に、熾烈な競争の中で勝てる道を探さなければならない。

日本に対する真の勝利は、我々が日本に背を向けて交流・協力を縮小・制限するのではなく、日本を超えてより一層富強な国になることだ。

デジタルタイムス(韓国語)
http://www.dt.co.kr/contents.html?article_no=2022102502102269660001


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