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杉沢村の生き残りやが、語らせてくれ1/2
青森市 浪岡 本郷
に杉沢村はありました。
厳密にいうと
本郷 字 杉沢
なので
杉沢「村」ではありません。
少し長くなりますが
語ってみることにします。
知らない人向けに説明しておくと
・ある晩に一人の青年が発狂した
・発狂した青年は集落の全員を殺害した
・全員殺害し終えたあと犯人は自*た
・あまりのおぞましさに集落そのものの存在が抹消された
これが世にいう杉沢村伝説の
大まかな骨格です。
実際の話とは
大きく異なる点や矛盾点も
ありますから
それも掘り下げて語っていこうと
思います。
明らかにおかしい点が
いくつかあります。
まずはそこから触れていきましょう。
・一人の青年が発狂して
・一晩のうちに
・集落全員を皆*にした
とありますがこれは明らかに
横溝正史の八つ墓村やそのモデルになった
津山三十人*事件を基にした創作でしょう。
一つの集落、仮に人口が100人だったとして
一人の人間が一晩で全員*ことは物理的に不可能です。
仮に包丁や刀などの刃物で人を*にしても
一人の人間ではせいぜい10人ぐらいが限界です。
鉄砲などの銃器を用いるにしても
発砲音で周囲に気づかれますから
誰かが襲われている間に
逃げ出して生き延びる人が
必ず出ますから
「皆*」というのは
そもそも不可能なんですよ。
けど、実際には皆*が起きた。
なぜか?
犯人は複数犯だったからです。
犯人の名前が
一切出てこないのは
複数犯による犯行だったのと
集落あげての箝口令、もみ消し工作が
あったからです。
皆*なのに…
結論から言うと
皆*、はありました。
集落全員が殺害されてるのに
事件化されていない
遺族や親類関係が全員口を閉ざしてる
という点です。
杉沢地区の全員が殺害されたとしても
それ以外の地域に住んでる
親戚縁者は必ずいます。
彼らが全員口を閉ざすのはなぜか?
これには理由があります。
杉沢地区にいた人々は
「見捨てられた人々」
だったからです。
不治の病でした。
青森市 浪岡 本郷地区は
山の麓に、へばりつくような立地の
陸の孤島です。
その中でも杉沢地区は
最も山に近い位置にありました。
近隣の結核患者をサナトリウムという形で
杉沢地区に集めていたわけです。
結核の特効薬ストレプトマイシンが
登場したのは戦後ですから
100年前の時期は
座して死を待つしかない状態でした。
差別、偏見というのは
凄まじいものがありました。
これは全くの迷信なんですが
・遺伝病である
・前世からの報い
・悪霊に呪われてる
といった間違った情報が
まことしやかに囁かれていました。
田舎というのは世間体がイノチ!
という世界ですから身内に結核患者がいる
というのは非常に都合が悪かったのですよ。
特に縁談で不利になることが多かった。
そういう背景もあって杉沢地区に集められた
結核患者らというのは親戚縁者にとって
「すでに*だ人」
「もともとそんな人はいなかった」
扱いだったわけです。
本郷地区にいる一部の人間たちは
そういった迷信にどんどん取り憑かれていきます。
血を吐きながら咳をして
やせ衰えて*でいくわけですから
当時の人らが恐怖のドン底に落とされるのは
当然のことでした。
この恐怖と迷信が本郷地区の人々を
狂気へと駆り立てていくことになります。
本郷地区にいる一部の人間たちは
そういった迷信にどんどん取り憑かれていきます。
血を吐きながら咳をして
やせ衰えて*でいくわけですから
当時の人らが恐怖のドン底に落とされるのは
当然のことでした。
この恐怖と迷信が本郷地区の人々を
狂気へと駆り立てていくことになります。
・ほっとくと俺達まであぁなるぞ
という雰囲気か本郷地区に
のしかかってきます。
集団ヒステリーと言ってもいいでしょう。
そして暴徒化した一部の住民らが
凶行へと走ります。
結核患者らがいる建物群に外側から鍵をかけ
次々と建物に火が放たれました。
すでに衰弱しており逃げる体力もない
結核患者たちの断末魔の叫びは
それはそれは恐ろしかったといいます。
なんとかして建物の外に出られた患者は
外で待ち構えてた連中に
斤で頭をかち割られるなどして
絶命しました。
こうして一晩のうちに
杉沢地区にいた全員が*れました。
これが世にいう杉沢村伝説、の真実です。
事件化しなかった、
抗議する遺族が全く出なかったのは
*れた患者の遺族らにとって
身内に結核患者がいる、というのは
どうしても隠しておきたいこと
だったからです。
というのは非常に特殊な地域です。
典型的な限界集落なんですけども
集落には信号がありません(笑)
コンビニもありません(笑)
最も特殊なのは集落の三分の一が
鎌田 姓 だという点です。
私の一族は昔、地主でした。
その本家の直系の嫡男が私です。
私の一族以外で本郷で鎌田 姓を名乗るのは
もともとは私の一族の小作人だった
家柄の連中です。
杉沢の惨劇が起きたとき
私の先祖は判断を誤りました。
「なかったこと」にすれば
元通りになる、平和になる
と考えたのです。
「本郷十文字」というバス停があります。
名前からわかるように、もともとは
十字路でした。が、現在は丁字路です。
物理的に道、そのものが塞がれて
抹消されました。
十字路「だった」のが、杉沢地区に
通じる道の入り口には現在
ヤブヤという理髪店があります。
理髪店の後背地も道があった痕跡そのものが
徹底的に抹消されました。
こうして十字路は丁字路となり
杉沢地区へ通じる道は消されました。
また杉沢地区のあった場所には
本郷ダムが建設され
杉沢地区は物理的に抹消されました。
全く違うと私は思うんですけども
私の先祖はそこを履き違えました。
放火し、焼き*、斤で
アタマをカチ割って*た犯人たちは
お咎めなし。
杉沢地区は存在そのものを抹消する。
相互監視で「なかったこと」
にすることで
100年以上の間
本郷地区の人々は
偽りの平和を享受してきました。
終わったはずでした。
けど、本当に恐ろしいのは
ここからです。
焼き*てるわけですから
精神的に破綻をきたす人が出てくるのは
避けられませんでした。
ある者は良心の呵責に堪えかね自*
ある者は発狂し
そして、ある者は
本郷から去っていきました。
それでも本郷の人々は
必死で口をつぐみ
「なかったこと」にして
暮らしておりました。
それで終わりになったか?
いいえ。
1997年 7月 26日 土曜日
当時、私は弘前大学教育学部の3回生でした。
あの日のことはよく覚えています。
家庭教師として初めて請け負った子
のお家に向かうべく
実家から浪岡駅に向かっていた時のことです。
浪岡駅近くに鹿内デンキという
家電量販店があるのですが
その店の前でわき見をして歩いていた
酔っ払いとぶつかります。
普通ならば「すみません」の一言があれば
それで終わらせるのですが
男は謝りませんでした。
激しい口論になります。
逆ギレして勢いで押しまくれば
なんとかなる、みたいな悪習が
公然とまかり通るんですよ。
わき見をしてぶつかってきた
酔っ払いは
「オラは悪ぐね」と逆ギレします。
当時、まだ青臭かった私は徹底抗戦です。
「なんなら警察よびますか?」
の一言に男はビビって、それでも
「オラは悪ぐね」
と捨てゼリフを吐いて去っていきました。
その時はそれだけの話でした。
青森市 浪岡中学校すぐそば
に住んでいたその男は
それから四年後
青森県 弘前市にある武富士という
消費者金融にマスク姿で現れ
店内にガソリンをばら撒き
店員が通報したことに激昂して
火を放ち、5人が焼き*れました。
あのときの男が
小林光弘 死刑囚だったのですよ。
2014年 8月29日に
死刑が執行されます。
小便、大便を漏らし
刑務官に両腕掴まれて執行台まで
引きづられてる時に
泣き叫びながら言ってた
小林光弘 死刑囚の
最後のコトバは
「オラは悪ぐね」
だったそうです。
杉沢地区で結核患者たちが
皆*にされた事件のあと
本郷から去っていった人たちがいた
というのはすでに述べました。
放火犯の一人は
「オラは悪ぐね」と言い残し
現在の青森県 平川市へと移ります。
その後、末裔がなぜか浪岡へもどってきて
武富士放火事件で5人を焼き*ました。
そう、小林光弘 死刑囚は
杉沢地区、皆*事件で
結核患者たちを
焼き*た犯人の末裔です。
これを知ったときには
手が震えました。
もう一つ大きな出来事がありました。
家庭教師として初めて受け持った子
なんですけども、就任から
2週間もたずにクビにされました(笑)
その子は当時、青森市 佃中学校3年で
青森高校志望の子でした。
青森高校は私の母校であり
県内トップの進学校なんですけども
まぁ、その子はほっといても
受かるだろうな、ってぐらいの
優秀な子でした。
が、親御さん特に母親と
教育方針をめぐって
激しく衝突しました。
まぁ、これが原因でクビにされたんですけども。
やらされるものではなくて
自発的にやるもの、だと私は考えます。
その子の母親は子に対して
とにかく支配的な考え方の人で
自分の子どもを言いなりにさせるための
操り人形としか見てない人でした。
私にはそれがどうしても我慢ならなかった。
それが原因で衝突したわけですが、
ケンカになったら雇い主である親のほうが
強いわけです(笑)
あっさりとクビ宣告されました(笑)
意外だったのは、常に母親の言いなりだった
その子が私のクビ宣告に強く反対した点です。
親の言うことに正面きって反抗したのは
どうやらこれが初めてだったらしく
母親は一瞬ぽかんとしてました、が、
その後、ますます怒りだしました。
アンタはこの子にとって悪影響でしかない。
あんなにいい子だったのに!
という理由でクビにされました。
苦い経験でしたね。
家庭教師をやったことがある人ならば
割と誰にでもある話しかもしれません。
売り言葉に買い言葉でクビには
なりましたが、正直、もうちょい
教えていたかったというのはあります。
あー、この子、これから先もずっと
母親の操り人形なんだろうなぁと思うと
胸が痛んだのも事実です。
それから11年後、その子は
東京 秋葉原の 歩行者天国で
無差別に人を殺傷し
死刑判決を受けます。
そう、加藤智大 死刑囚は
私の教え子です。
事件が起きたあとも
・あの子のためを思って躾けただけ
・オラは悪ぐね
の一点ばりでした。
あれ?どこかで見た話ですね?
その後、夫と離婚することになった時も
加藤智大の弟が自*たときも
死刑執行のときも
加藤智大ママは
オラは悪ぐね!
と被害者ヅラしてたそうです。
デジャヴュですね。
それはそうと文才あるね…
1997年 7月 26日
同じ日に
武富士放火強盗殺人事件の犯人と
秋葉原無差別殺傷事件の犯人
それぞれその後、死刑判決を
受けるわけですが
その二人と接点のあった人物が
私、なわけです。
これだけでも天文学的な確率だと
思うのですが
みなさんご存知の通り
この日から、ちょうど25年後である
今年の
7月26日
加藤智大の死刑が執行されました。
不思議な因縁を感じます。
乙
マジか、コピペかよ!
>>1
褒めたの返せ
直接、犯行には手を下してはいないものの
私の先祖は地主という立場にありながら
杉沢で起きた皆*事件の
後始末について
判断を誤りました。
たぶん、その因果が
私にまわってきているのだと
思います。
サンキュー!後で読んでみる!
親戚づきあいはありませんが
金木町の方にある
分家筋の家の末っ子に
鎌田善人という方がいらっしゃいます。
世間的には
吉幾三という芸名の方が
一般的ですね。
そういう一族です。
この話には
まだまだ続きがあります。
少なくとも
小林光弘 死刑囚と
加藤智大 死刑囚と
接点があるとか
まぁ、むしろ
コピペ呼ばわりサれてる方が
よほどマシです。
OK、信じる
邪魔してすまん
気持ち的に
一段落ついたってのは
ありますね。
>>35
それ、書いてるの
私です(笑)
本人が書いてるのを
コピペ呼ばわりされても(笑)
の時に全て書き切れば
良かったんでしょうけども
精神的な区切りで
どうしても書けなかったことが
色々とありました。
今回、思うところあって
一切合切、吐き出してしまおうと思い
このスレをたてた次第です。
知らんかった
まぁ、なんとかしぶとく
生きてます(笑)
当時、青森市 浪岡中学校2年生だった
葛西 りま という女の子が
イジメを苦にJR北常盤駅のホームから
電車に飛び込んで自*ました。
自*た女子生徒の父親 葛西剛は
本郷地区の出身です。
本郷地区から浪岡中学校へ進学した
同学年の男女全員が
イジメに関与しておりました。
被害生徒が自*た日
加害者親子らは爆笑してたそうです。
自*た女子生徒は妊娠しておりました。
集団強*されていたからです。
コピペ扱いされてますけど当時はここら辺の部分がどうしても書けなかったんですよ。
その背景も含めると結局は私自身の
これまでの人生についても洗いざらい書かないといけなくなりますから。
心の踏ん切りがつかなかったのです。
あまりにも恐ろしい経験をすると
人間、なにも言えなくなるときが
あるのですよ。
そこは、わかっていただきたいです。
創作は創作らしく淡々と語って欲しいところ
そんなにすごいですかね?
私なんて全然たいしたことないと
思うんですが?
高校同期だと
奈良岡は39歳の若さで
京都大学法学部の教授になってて
小野寺は
東大卒、総務省キャリア官僚を経て
今は現職の
青森市長です。
私なんて、しがない
家庭教師ですから(笑)
全然たいしたことないですよ。
質問等あれば
答えられる範囲で答えます。