あわせて読みたい
「朝鮮民族が17世紀以降の中国を支配」説?韓国側の主張はいつも稚拙なこじつけに終始
◆朝鮮民族が中国全土を支配した?
11世紀頃、黒水靺鞨の女真族は強大化していき、完顔阿骨打という女真族の族長が1115年に金を建国します。金は内満州や外満州のツングース系民族の大半を統一し、モンゴル系の遼を滅ぼします。さらに北宋を滅ぼし、華北(中国の北半分)を征服するに至ります。金王朝は中国を支配した最初のツングース系民族の王朝でした。
この金王朝の建国者の出自について、韓国の学者たちが独自の説を打ち立てています。10世紀半ばに完顔函普(かんぷ)という女真族の族長がいました。この人物は金を建国した完顔阿骨打の150年前の祖先に当たります。
『金史』には、「金の始祖である函普は高麗に由来する」という記述があります。高麗は10世紀に王建(ワンゴン)が建国した朝鮮王朝で、新羅に続く2番目の統一王朝です。この高麗が英語のKorea(コリア=韓国)の語源となります。高句麗も高麗も同じもので、「句」の字を入れる「高句麗」という言い方が古い表現であるため、古代の高麗を「高句麗」と表記し、中世の高麗を「高麗」と表記して、一般的に使い分けています。王建は高句麗の後継者を自任し、国号にもこれを使ったのです。
韓国の学者たちは、この高麗の出身である完顔函普は朝鮮民族であり、その子孫の完顔阿骨打がつくった金王朝は朝鮮民族が建国した国家であると主張しているのです。高麗の出身というだけで、なぜ完顔函普が朝鮮民族になるのか、その根拠は明らかではありません。完顔氏ら女真族は朝鮮人と密接に関係し、混血していますが、朝鮮民族という範疇には入りません。
韓国の学者たちは、朝鮮民族の完顔函普の血を引く完顔阿骨打が中国に進出し、漢民族を蹴散らし、中国を征服したという民族の躍動史をよく認識すべきだと言います。また、完顔函普は新羅の王族だったという根拠不明な主張をする学者もいます。
さらには、金王朝の後継である清王朝も同様に、朝鮮民族が建国した国家であるので、朝鮮民族が17世紀以降、中国全土を支配したことになるというのです。東洋大学校の金雲会教授は清の皇族姓の愛新覚羅について、「新羅を愛し、記憶する」という意味が込められていると主張しています。
「愛新覚羅」は「アイシンギョロ」と読みますが、「アイシン」は「金」を意味します。「金」は満州語で「アンチュン」と発音します。「ギョロ」は黒竜江省にある女真族の祖先の土地の名です。かつての国名と土地の名を組み合わせて、「アイシンギョロ」としたものに「愛新覚羅」という漢字を当てたに過ぎません。「新羅を愛し、記憶する」という意味などありません。
◆『金史』の記述の謎
しかし、問題はなぜ『金史』に金王朝建国者の始祖が高麗に由来するということが書かれているのかです。『金史』に記されている「高麗」は中世の高麗を指すものではなく、古代の高句麗を指していると考えられます。6世紀の南北朝時代から隋唐時代の中国史料で、高句麗は「高句麗」とは表記されなくなり、「高麗」と表記されるようになります。『金史』の「高麗」も高句麗のことだと考えられるのです。また、『金史』の中では、完顔函普に言及したところ以外にも「高麗」と記されている箇所が随所に見られますが、これらは高麗ではなく、「高句麗」を指していると思われます。
満州族にとって、高句麗は満州全域から朝鮮半島北部につくられた栄光の古代国家と記憶されており、始祖が高句麗の出身であるとすることで、彼らの正統性を高めようとする狙いがあったと推察されます。
さらに述べるならば、完顔函普が高句麗に関係していたということも信頼に値しません。女真族は靺鞨族の後裔です。靺鞨族は外満州にいた粛慎を始祖とします。一方、高句麗は扶余族が作った王朝で、扶余族は内満州にいた濊貊(わいはく)を始祖とします。両者は同じツングース系民族ですが、系譜が異なります。
完顔函普が高句麗に由来する一族ならば、女真族は濊貊の子孫ということになってしまい、歴史の事実とは一致しません。『金史』に記されている一文をもって、韓国の学者たちが主張する「女真族の起源は朝鮮人だった」「金王朝や清王朝は朝鮮民族が建てた国家であり、朝鮮史の一部である」という理屈は通らないのです。
また、清王朝の草創期において、朝鮮は女真族を「オランケ」(朝鮮語の「野蛮人」という意味の蔑称)と呼びました。朝鮮は、自らを中華文明の信奉者とする「小中華思想」を掲げ、女真族のような蛮族が漢民族に楯突くのは道理に反していると怒り、女真族と戦うことを宣言します。
【続く】
宇山 卓栄
2022.10.17
https://gendai.media/articles/-/101006?imp=0