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帰化から8年、張本智和が持つ日本への愛 衝撃の中国斬り直後、明かした境遇への本音
両親は中国・四川省出身。父はプロ選手として活躍し、1990年代に日本へ移り住んだ。自身は宮城・仙台市で生まれ、ラケットを握り始めたのは2歳の時。幼い頃から全国大会で活躍し、11歳を前にした2014年の春、5歳下の妹・美和とともに日本へ帰化した。
近年、多様性の流れが加速してきたとはいえ、これまで風当たりが強くなかったわけではない。「最初は別に何も気にしていなかった」と外野の声に無関心。しかし、活躍とともに少しずつ名前が売れ、「15、16歳の頃」にはネット上のコメントに傷つく瞬間もあった。
ただ、今は違う。自身のルーツとなる国と激闘を繰り広げた試合直後、相対する記者の目を真っすぐと見つめ、「帰化選手」の境遇に対する本音を明かした。
「実際に自分と接してくれた方で、嫌なことを言って来た人は一人もいません。幼稚園から卓球を始めて、出会った選手、スタッフの中で嫌だった人は一人もいないです。今ではネットでそういうことがあることは、仕方ないと思っています。
もし、自分がもともと日本人だったとしても、何か言われることはあるでしょうし、親が日本人であってもあると思います。最初はちょっとつらい気持ちがありましたけど、どんなトップ選手でもあることなので、今は嫌なことは全くないです」
傷ついた時期は、「試合に負けるよりはマシ」と意識を卓球台にだけ向けた。周りから可愛がられるちょっといたずらっぽい性格。「日本の好きなところ」を問われると、冗談を交えながら笑った。
「やっぱり、みんな優しいですね。直接、嫌なこと言われたことは本当に一回もないですよ。まあ、裏ではわからないですけどね(笑)。みんな最初から温かい気持ちで接してくれる。僕の親が中国人だと全く感じないくらいスムーズに生活してこられた。本当に温かい国だと思います」
同じ境遇の子どもたちにメッセージ「自分が正しいと思うことを一生懸命に」
鬼神のごとく気迫を出して戦ったコート上とは一変。同じような境遇で悩んでしまう子どもたちへ、柔和な口調でメッセージを送ってくれた。
「ジェンダーのことだったり、いろんな『人』『事』を国際的にもどんどんと受け入れてもらえる中で、そういうことを認めていない人もまだまだいます。でも、気にせず、自分が納得して気持ちよく過ごすことが大切。自分が正しいと思うことをすればいいと思います。
何をしても言ってくる人もいます。例えばですが、挨拶をしただけでも『挨拶してくるな』と言う人もいる。自分が100%良いことをしても、悪いことを言う人がいる。本当に気にせず、自分が正しいと思うことをしっかり一生懸命頑張ればいいんです」
世界一を目指し、努力を重ねた時間に偽りはない。チーム最年少ながら頼もしさを存分に発揮し、仲間と感情を共有した。日本の勝利のために死力を尽くしたことは誰にも否定できない。
ともに戦ったメンバーを横目に言った。
「本当に頼もしいチームメートで、史上最高に良いチーム。世界チャンピオンにはなれなかったけど、このチームで戦えて嬉しかった。またリベンジできるように頑張りたい。そのために一生懸命、練習するしかないです。やっぱりプレーもみんなに気に入ってもらいたいし、人間性でもみんなに認めてもらえるような選手になりたい。模範となれるように頑張りたいと思います」
汗だくになったユニホーム。左胸には、日の丸が誇らしげに輝いていた。