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現代ビジネス 10/8(土) 9:37前編記事「やっぱり「10・8決戦」は球界史上最高の試合だ…! 村田、今中らが明かす「死闘の記憶」」では、巨人と中日が決戦に至るまでの道のりと両者譲らぬ3回までの試合の模様を紹介した。この後編記事では、3回裏からの試合の行方を引き続き紹介する。
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1994年10月8日、巨人と中日が同率首位で迎えた「史上初の最終決戦」がナゴヤ球場で開催された。異様な緊張感に包まれる中、数々のドラマが生まれ、日本中の野球ファンが震えた。3時間14分の死闘を、村田真一、今中慎二、鷲田康の3人が貴重な「証言」と共に振り返る。
———-この試合のMVPは斎藤雅樹だ
鷲田 3回裏には、その落合さんが、立浪和義の一塁ゴロを処理する際にバランスを崩して左足を負傷。一度は守備についたものの、その回でベンチに退きました。村田 ベンチに戻った落合さんは「ちょっとしんどい」と言うので、「なに言うてん。絶対、出なあかんよ」と声をかけました。落合さんはチームの柱だし、なんとしても出てほしかったんです。でも「もう無理や」って。
鷲田 村田さんは「内転筋が痛い」と訴えた斎藤に「バカヤロー! 足がちぎれるまで投げろ」と檄を飛ばしたそうですね。
村田 あの試合、斎藤は中2日の登板で体は張り、足の状態も悪かった。だから当日、「槙原、斎藤、桑田(真澄)の順番でいく」とホリさんから伝えられた時は、マキが5~6回、斎藤が1回投げて、残り2~3イニングを桑田で締める流れをイメージしていました。けれど、マキが2回で降りてしまったので、斎藤には「なんとか6回までは投げてくれ」と伝えたかったんです。
鷲田 斎藤はその期待に応えて、6回までの5イニングを1点で抑え、桑田につなぎます。
村田 2回のバント処理で中日の勢いを止めてくれた斎藤がこの試合のMVPで間違いありません。
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https://gendai.media/articles/-/100504