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92年阪神の快進撃に不可欠だった守護神・田村勤。ケガで無念の離脱も「投手人生のなかでいちばん輝けた」
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1664858672/
入団2年目の92年、阪神の絶対的守護神となった田村勤
1992年の猛虎伝~阪神タイガース”史上最驚”の2位証言者:田村勤(後編)
1992年の阪神快進撃に不可欠だった守護神・田村勤。プロ1年目の91年から50試合に登板して3勝4セーブを挙げたなか、チームの方針で夏から抑えの「練習」を始めていた。大石清投手コーチの指導の下、先発の頭数は揃いつつあったが、リリーフ陣は脆弱だった。
当時の抑えは、1イニング限定ではなく、8回の走者がいる場面で登坂することも頻繁にあった。ゆえに実戦で「練習」し、経験を積む必要があったのだが、では、2年目に向けてどう取り組んだのか。「たむじい」の愛称で呼ばれ、同僚に可愛がられる存在でもあった田村に聞く。
守護神として無双状態
「抑えをやるにあたっては、落ちる球がほしかったんです。変化球はスプリットとスライダー。下手すると2球種ぐらいでしたから(笑)。なんとか、シンカーを覚えようとしたんです。1年目から大石さんにいろいろ教わって、時折、投げましたけど、なかなか落ちなかったですね」
課題は残ったが、いきなり故障した1年目と違い、2年目のキャンプは順調だった。50試合で59回2/3を投げた影響もなく、疲れも取り除けていたという。
「ただ、1年目は『初回から肩をつくる』ということをずっとブルペンでやってたんです。だからなんとなく、ヒジがもうひとつだな、というのは感じていました。それが2年目は抑えになったので、試合の後半に準備することになって。『ラクだな』と思いました」
92年の田村の初登板は開幕2試合目のヤクルト戦。3対3の同点で迎えた9回裏から登板すると、連打での一死一、二塁のピンチをしのぐ。10回表に味方打線が3点を奪って勝ち越すと、その裏は三者凡退に打ちとって初勝利を挙げた。
その後、4月の田村は中込伸、湯舟敏郎、仲田幸司、猪俣隆が先発した6試合でセーブを挙げて勝ち星をつけ、なかでも猪俣は3勝。そのうち4試合で2イニングを投げている。同年の先発陣が好スタートをきるには欠かせない働きぶりで、失敗は一度もなかった。
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