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【阪神】岡田彰布監督再登板へ これで「掛布雅之監督」誕生の芽は永遠に潰えたか… 掛布監督は幻のまま終わってしまうのか
1: 風吹けば名無し 2022/09/27(火) 23:18:20.56 ID:CAP_USER9
来シーズン、阪神の監督に岡田彰布氏が再登板することが報じられた。
矢野燿大監督はキャンプイン前日の表明通り、今季限りでの退任する予定となっている。
岡田氏は2004年から星野仙一氏の後を受け、監督に就任。
2005年には『JFK』と呼ばれたジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之という鉄壁のリリーフ陣を確立してリーグ優勝を果たし、野球界の投手起用に大きな影響を与えた。
2008年、シーズン中盤まで独走していながら、最大13ゲーム差をつけていた巨人に逆転優勝を許し、責任を取って辞任した。
2010年からオリックスの監督を3年間務め、1年目には交流戦の優勝も飾った。
2013年からは評論家として活動していた。
「岡田監督の復帰は既定路線でしたが、これで掛布雅之監督の誕生は永遠に見られない可能性が高まりました。掛布さんは現役時代、習志野高校からドラフト6位で入団した後、猛練習で這い上がり、小柄ながらも阪神の4番としてホームラン王を3回も取り、1985年の日本一にも貢献した。いろんな説はありますが、阪神の歴史で“ミスター・タイガース”と呼ばれたのは藤村富美男、村山実、田淵幸一、掛布雅之の4人と言っていい。藤村さん、村山さんは阪神で、田淵さんはダイエーで指揮を取った。監督になっていないのは掛布さんだけです」(球界関係者。以下同)
掛布氏は引退前年の1987年、開幕前に酒気帯び運転で現行犯逮捕され、当時の久万俊二郎オーナーに「ウチの4番は欠陥商品。野球選手以前に人間として失格」と痛烈な批判を浴びせられていた。
その一件で両者に確執が生まれ、久万オーナーの目の黒いうちは掛布氏の阪神復帰はないと思われていた。
「引退後、ロッテや楽天から監督のオファーがあったと掛布氏自身が明かしていますが、条件面や野球観が合わないなどの理由で受諾はしなかった。何より、阪神への愛着があったのではないでしょうか」
久万オーナーが他界した2年後の2013年オフ、掛布氏は阪神の『ジェネラルマネージャー(GM)付育成&打撃コーディネーター』に就任した。
引退した1988年以来の古巣復帰にファンは驚くと同時に喜んだ。
「掛布さんと同じ千葉県出身で、現役時代のチームメイトである中村勝広氏が2012年のシーズン中にGMになり、なんとか掛布さんを阪神に戻したいと思案した結果が複雑な肩書きを生みました」
一時、阪神が掛布監督誕生に向かって動いていた時期もあったという。
「中村GMは段階を踏んで、掛布さんを監督にしようと考えていたと聞いています。当時の和田豊監督の次は掛布監督になるという話もあった。しかし、2015年の9月に中村GMが脳出血で急死。これで流れが変わり、そのオフに金本知憲監督が誕生した。もし中村GMが存命だったら、掛布監督が誕生していたと思いますよ」
掛布氏は金本氏の要請もあり、二軍監督として27年ぶりに阪神のユニフォームに袖を通した。
背番号31をつけたミスター・タイガースの人気は現役時代と変わらず、二軍の試合では異例の満員札止めになったり、平日の昼間にもかかわらず甲子園に1万人を超える観客が集まったりした。
「育成手腕については賛否ありましたが、大山悠輔や原口文仁などは掛布二軍監督の元で揉まれ、一軍に定着した。しかし、ファンに惜しまれながらも2017年限りで退団。もしあと1年続けられていれば、金本監督の電撃的な辞任の後に一軍監督に昇格したかもしれません。二軍監督退任後、さまざまな肩書きで球団のポストを与えられていますが、今年のキャンプ前日に矢野監督が今季限りでの退任を表明しても、掛布さんの名前はほとんど上がってこなかった。いまだに人気は絶大ですし、一度でいいから掛布さんの一軍監督を見てみたいファンは今もたくさんいる。ただ、もう67歳になってしまい、仮に岡田監督が3年務めたら、掛布さんは70歳です。現実的には、可能性が限りなく低くなってしまった」
掛布監督誕生は幻のまま終わってしまうのか──。
https://news.yahoo.co.jp/articles/24eda1b26ff6409cc5488bddafb47ab10c08b88a?page=2
掛布に無理させたらアカンで