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(出典:デイリースポーツ) |
長山 洋子(ながやま ようこ、1968年1月13日 – )は、日本の演歌歌手・女優・アイドル。津軽三味線の澤田流の名取でもある。 東京都大田区出身。血液型はAB型。 1984年にシングル「春はSA-RA SA-RA」でデビューし、1990年頃までアイドル歌手として活動した。その後女優としての経験も積んだが、1993年には「蜩…
46キロバイト (2,895 語) – 2022年9月16日 (金) 15:35
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スポーツ報知
インタビューに答える長山洋子(カメラ・小泉 洋樹)
歌手・長山洋子(54)の新曲「今さらねぇ」が7日に発売された。前作に続く夫婦(めおと)演歌で「年を重ね、ほのぼのした楽曲も歌えるようになった」と笑みを浮かべた。1984年にアイドル歌手としてデビューし、93年に「蜩―ひぐらし―」で演歌に転向して今年で30年目。来年はデビュー40年目の節目の年になるが「一番苦しかったのは2年目で、あの時を乗り越えたから今がある」とも。MCを務めるテレビ東京系「洋子の演歌一直線」(日曜・前5時半)は1400回を超えるが「できる限り続けたい」と目を輝かせた。
新曲は軽快なメロディーに乗せて今夜のおまえは綺麗(きれい)だと― これからも よろしくね― 普段は照れくさくて言えない夫婦の本音がつづられている。
「今回の曲も前回の『下町銀座』に続く夫婦演歌です。結婚して何十年も連れ添った夫婦だと変に距離ができて『きれいだね』とか、そういうモノってなくなってくるんでしょう。だけど、酒が入った時にご主人から『きれいだ』とか言われると『何言ってんの、今さら』っていうところもあるんだけど、女性からしたら、うれしいんですよ。私も(夫婦生活を)実体験しているので『なるほどな』って思いますもん。やっと、ほのぼのした演歌が歌える年代になってきたと感じています。来年も同じ路線で夫婦3部作にできたらいいですね」
芸能界入りは、ビクター少年民謡会に入所していた時のスカウトがきっかけだ。
「民謡会で『8時だョ!全員集合』に出演したことがあって、その場で(バーニングプロダクション・周防郁雄)社長からスカウトされました。で、レッスンを経て(84年)4月1日に市川昭介先生と阿久悠先生に頂いた『雪国』という曲でデビューが決まっていましたが、直前に『演歌を歌うには若すぎる。アイドルでデビューさせよう』って社長が…。嫌なんて言えないし『そうですか。分かりました』です(笑い)」
84年にアイドル歌手としてデビューするが、2年目に辛酸をなめたそうだ。
「デビューした年は新人賞レースもあって、取材やキャンペーンで休みなく1年が過ぎるんです。ところが2年目になると芸能界をやめていく子も多くて、私もどんどん仕事がなくなって『自然に消えちゃうかも』という気持ちとずっと闘っていた気がします。友達もみんな堀越高校で仲間だけどライバルでもあって、相談する人もいなくて全部自分で決めていました。事務所から『クビだ』って言われるまで、絶対に『辞めさせてください』とは口が裂けても言わないと決めていました。今、こうしてやっていられるのは、この試練を乗り越えたからだと思います」
93年「蜩」で演歌に転向しヒットを連発したが、戸惑いもあったようだ。
「10年ほどアイドルやってきて、コブシも取れてきた時だったので正直、演歌をやるのに不安はありました。おかげさまでヒットは出ていましたが心に余裕はなかったです。紅白歌合戦は別として、当時の演歌歌手の目標に座長公演というのがあったんですよ。私が29歳の時に新宿コマ劇場で特別公演をやらせてもらった時に『自分の一つの目標が達成できたなあ~』っていうのはありました」
94年にスタートした「洋子の演歌一直線」は、放送1434回(11日現在)を数える。長寿の歌番組として根強いファンは多い。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3e8d4f951020462e247b739f0e5f860a9da2f3ec