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【韓国】日本製品不買と言いながら桜祭りに夢中?~お花見は韓国になかった日本の風習
▲1927年4月23日、東亜日報の記事に掲載された昌慶苑夜の夜桜遊び
「昌慶宮の扁額を昌慶苑に変えて2年過ぎた1911年、日本奴たちが自国の精神を朝鮮に植えると昌慶苑に大々的に桜を植えました。少しどころか1,800株を植えたのです。その木々が10年以上育てば豪華に花が咲くでしょう。すると日帝はその桜の花を利用して定例的な祭りを企画して、1924年春にはその練習に用心深く夜桜行事を行いました。」
この話は以前、昌慶苑の獣医だったキム・ジョンマン氏による「昌慶苑のお花見」が始まったいきさつだ。日帝は私たちの宮廷・昌慶宮を昌慶苑に変えて動物園を作り、桜を植えて最初から朝鮮宮廷ではなく日本魂で楽しむ乱闘場を作った。
それだけではない。日帝は朝鮮の寺にも桜の植樹を強要している。1937年3月5日付け朝鮮日報には京畿道始興郡内20余りの寺境内(京畿道始興郡内20余個寺刹境内)に桜の木、紅葉などを植えるよう指示し苗木は「できるだけ郡で共同購入し、実行計画を立てて郡の承認を受けること」という但し書きを付けている。それほど日帝は寺にまで桜を植えるよう強制したのだ。
近頃、私たちが楽しむ『お花見』は本来、私たちの風習ではない。日本は春にハナミ(花見)といって大々的にお花見を楽しむ。国民が桜の花の下に集まって弁当を食べ酒を飲みながら遊んで楽しむ風習が狂的なほどだ。
ハナミはその歴史だけでも奈良時代(710~794)に遡るだけでなく、現存する最古の歌集である《万葉集、8世紀》にも桜関連の歌が43首も出るほど桜の花を楽しんだ。このような点で日本の桜祭りは1千年以上の古い風習だ。
しかし我が国は事情が違う。古典から金素月(キム・ソウォル)詩人に至るまで春ならチンダルレ(ツツジの一種)や梅を主に歌ったが、桜の花の情緒ではなかった。そればかりか私たちの古人はチンダルレの花でファジョン(花煎=花びらを押しつけたセンベイ)を送って楽しんだだけ、今の私たちのように群れをなしてお花見を楽しんだという記録は最初から見つからない。
少なくとも今の様なお花見はキム・ジョンマン氏の言葉のようにどうしても日帝強制占領期間の遺産としか見られない。それでも日帝による、日帝のための朝鮮の地の桜はいつのまにか、韓国人の4月を代表する花見として位置を確立したのであまり愉快なはずがない。
ある人たちは桜の原産地が済州(チェジュ)の王桜に由来したのに何が問題かと言う。本当に今、韓国の地に植えられた桜が済州産王桜から始まったのか疑わしい。いやそれを認めて100%済州産王桜の種子だとしよう。そうだとしても、お花見の風習自体が日本ではなかったか!
日帝が朝鮮の地に渡ってきて一番最初にしたことが神社の建設で、津々浦々に桜の花を植えて「日本化」することであり、これに気づかなかった朝鮮人は解放後「神社」をなくしたが、「桜の花」だけは粘り強く植えて育ててもう韓半島が「桜の国」になっており、地下にいらっしゃる愛国の志士烈士が見れば嘆くだろう。
2019年、日本政府の大韓民国輸出規制発表後に日本製品不買運動を始め、多くの国民は「独立運動はできなくても不買運動はする。」と積極的に呼応した。これに対しコンビニから日本ビールが消えたのはもちろん日本国籍のユニクロ店舗が次から次へ閉店している。
しかし、日本は依然として輸出規制を解かないのはもちろん、独島を自らの土地だと言い張って、日本軍慰安婦はなかったととぼけている。こうした時に私たちは日本製品不買運動しながら、日本の人々の長い間の風習を狂的にまねることは日本人たちの腹黒い笑いを誘う要因であり、私たちの民族的自尊心を害するものであろう。
どうか私たちが倍達(ペダル)民族ならば、もう桜の花に夢中になるのではなく、梅を歌いツツジの花を楽しむことを切実に希望する。
キム・ヨンジョ発行人
ウリ文化新聞(韓国語)
https://www.koya-culture.com/news/article.html?no=129405