あわせて読みたい
中日・福留孝介、引退スピーチ全文 背番号と同じ9度宙に舞う
マウンドでは仲間に囲まれ、胴上げは背番号と同じ9度。記念撮影を行い、場内を一周してファンに最後の別れを告げた。さらに、ここで1999年同期入団の岩瀬仁紀氏(47)、鳥谷氏がサプライズゲストとして登場。2人からも花束を受け取り、ほおを緩めた。「孝介コール」に包まれるなか、盛大なセレモニーは幕を閉じた。
▽福留の引退スピーチは以下の通り。
「まず初めに、きょうこのような引退セレモニーを開いていただきました中日ドラゴンズ球団、そして立浪監督をはじめ、コーチ、選手、裏方のみなさん、そして、最後まで球場に残っていただきました、ファンの皆様、本当にありがとうございます。
小学生のときに串間キャンプで中日ドラゴンズを見て、中日ドラゴンズのチームに惹かれ、そして、その中にいた立浪監督にあこがれ、プロ野球選手を目指してきました。1998年、星野監督の計らいで、ファン感謝デーに呼んでいただき、後ろにあります、バックスクリーンの扉の所から一人で出てきたとき、その恥ずかしさ、いまでも鮮明に覚えています。その日から僕のプロ野球人生がスタートしました。
24年間、素晴らしいチームメート、素晴らしい指導者のもと、プレーさせていいただき、その中に佐々木恭介コーチと出会い、『打撃を一から作り直そう』、そういって毎日、バットを振り続け、朝起きるときには自分の手がバットの形をして固まったまま。そんな日々を繰り返しながら、松井秀喜さんに勝って、初めて首位打者を獲得したとき、この世界でやっていける自信を持てたのを思い出します。
その後、リーグ優勝、日本一、本当にたくさん楽しい思い出をつくらせていただきました。しかし、日本一になったときに自分自身、故障でその場所にいられなかった、その悔しさ、その気持ちもここまでプレーを続けてきた原動力だったと思います。
その後、海外、阪神タイガースでプレーをさせていただきました。阪神タイガースでは8年間、日本一のグラウンドで、熱狂的なファンの皆様の声援の中でプレーさせていただき、そして、最後の甲子園球場のときにはライトスタンドから大きな福留コールをいただき、僕の一生の宝物です。本当にありがとうございました。
2年前、このドラゴンズに帰ってきて、もう一度このユニホームを着てプレーできたこと、そして、自分の野球人生がスタートしたこの場所で、ファンの皆様の声援に包まれて、ユニホームを脱げる。僕は本当に幸せ者です。
最後に、24年間、戦い続けることのできるこの体で産んで、育ててくれた両親、本当にありがとう。そして、一番近くで応援し、支えてくれた家族。本当にありがとう。
僕は今日でユニホームを脱ぎますが、ドラゴンズにはまだまだ期待の選手がたくさんいます。ドラゴンズファンの皆様、これからもドラゴンズへのご声援、よろしくお願いします。
24年間、あたたかいご声援、本当に、本当にありがとうございました」
サンスポ
https://news.yahoo.co.jp/articles/78ea2d3a85c6364b176e391c259456cc97b6ca3e