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【また韓国の捏造】 日本軍の銃刀で死んだ「独立万歳運動」主導した母子、102年後に立てられた追悼碑
▲チェ・ジョンチョル、キム・グウン母子像、アウネ独立万歳運動記念公園の中にある万歳運動銅像の中のチェ・ジョンチョル、キム・グウン母子像。アウネ市場万歳デモで日本憲兵の銃剣にさされてその場で亡くなった息子を抱いて日本巡査を叱り飛ばし、母親もその場で殉国した。(c)イ・ユンオク
▲チェ・ジョンチョル、キム・グウン烈士のための万歳 追悼碑除幕式を終えて、参加者が万歳を呼んだ
1日、訪れた忠南天安市並川面佳田里の母子墓で102年前、アウネ市場の万歳の叫び声が雄壮に鳴り響いた。天安アウネ市場独立万歳運動主導者であるチェ・ジョンチョル、キム・グウン烈士の墓だった。
意義深い日を賛えて、墓の周辺では過去、天安万歳運動を主導したチェ・ジョンチョル(1995,愛国章)、キム・グウン(1991,愛国章)烈士母子の追悼碑除幕式があった。
よくアウネ万歳運動といえば柳寛順(ユ・グァンスン)烈士を思い出すが、102年前の4月1日、アウネ市場万歳デモを主導し日帝巡査の銃剣によって現場で殉国の道を歩んだ母子がいる。それが母親(チェ・ジョンチョル、当時66才)と息子(キム・グウン、当時32才)だ。
同じ日に命を失った母子は佳田里サン8-6番地に埋められたまま、100年以上、沈黙の時間を過ごさなければならなかった。
過去どんなことが起きたか分解してみる…「独立宣言」しようと集まった6400人、日本軍に対抗する
(中略)
日帝に命奪われたが…名前三文字知られなかった独立活動家
事実を言えば、今回の追悼碑に彫られた詩は記者が書いたものだ。記者はかなり以前から女性独立活動家の人生を追跡して献詩を書き、その一生を記録する作業をしている人として何年か前、女性独立活動家チェ・ジョンチョル烈士の存在を知った。
取材過程で彼らがアウネ市場の主導者だった事実と、この地域で照明を受けられずにいる事実を知ってびっくりした。独立運動をして命を捧げた数多くの烈士の足跡を尋ね歩きながら残念に感じたのは、まさにチェ・ジョンチョル、キム・グウン烈士のような方々の歴史の照明を避けた人物だ。
日帝侵略期に命まで投げて殉国の道を歩いたのに、その名前を記憶する人がいないということ…それは悲しくて寂しくて悲劇的なことだ。
しかし、昨日(4月1日)、墓場で記者はうれしくて涙を流した。そこに集まった人々もやはりそうだろう。参席者は追悼碑除幕を終えて、チェ・ジョンチョル、キム・グウン烈士の名前を呼び万歳を叫んだ。102年ぶりに佳田里の墓場で鳴り響いた万歳の叫び声に多分チェ・ジョンチョル、キム・グウン烈士も喜びの涙を流しただろう。
とりわけ赤くぱっと開いたチンダルレの花びらの中にお母様(チェ・ジョンチョル)と息子さん(キム・グウン)烈士の華やかな微笑が重なった。うれしい日だった。
イ・ユンオク記者
オーマイニュース(韓国語)
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002732329