西暦前70378年の啓海年から麻姑ハルミの天符の弘益人間の歴史が始まり、約43,200年が過ぎた西暦前27178年頃からはマゴハルミの長手となる黄宮氏(黄穹氏が白牛氏、清宮氏、黒牛氏などに属する四氏族を和白に治めた時代となった。
この時からは、マゴハルミを既に祖先神である三神で祀られたことになる。皇居氏が馬古姫に代わって治めたところもまた、パミール高原の麻姑城にあったので、馬古時代、馬古城時代になるのだ。
当時、魔法城は空の国の首都であり、馬庫城の外の国は相対的に土国になるのだ。馬古城時代末期にブドウによる五味の亂と人口増加による食糧難で西暦前7197年頃に四方に分去したので、皇居氏族は東北の天山洲である天山、モンゴル、シベリア、満州、朝鮮半島、清宮氏族は東の雲海洲である黄河以南、揚子江流域の南北にかけて東に、白牛氏族は西の月食朔であるスメール、ヨーロッパ地域で、黒牛氏族は南の星生洲であるインド地域に分去したことになる。
皇居氏が西暦前7197年に突然、パミル高原のすぐ東北側に位置する天山に首都を定め、約1,100年を治め、天符三印を伝授された有仁氏が再び東に位置するアルタイ山に非定められた天山を首都として約1,100年を治め、この時パミール高原の東地域に全部で9族がすでに形成されており、再び天府三人を伝授された韓人氏(桓因氏)が再び東に位置する大興安寧山に非定される天山を首都として7台を継ぎ、西暦前3897年まで約1,100年を治めたことになり、これで韓国時代は合計3,300年間なるのだ。
韓人氏の桓国は9族と12韓国の中心として黒龍江と白頭山の間の土地で、同時ベリア、満州地であり、丹軍朝鮮の中心地だった眞韓の地となる。韓国末期に虎族と熊族の戦争が黄河中上流地域で勃発するので、庶子部の大人、桓雄が智爲利の韓人(桓因)天帝の名を受けて天府三人を伝授され、三師五加と群衆3,000を率いて韓仁天帝の韓国を離れ、西南地方に、すなわち三威山南に位置する太白山)地域に降りて太白山の頂上には帝天団を築き、その下には神市を開いて首都にし、西暦前3897年に突然、10月3日に国を開け始めると、配達国であり、天地人天部印の道を実現し、天雄道を広げると開天である。