あわせて読みたい
1日100人以上も…子どもに電話させるワケ 少年野球で半世紀続く“おばちゃんイズム”
1: 風吹けば名無し 2022/09/12(月) 11:19:27.12 ID:CAP_USER9
棚原安子さんが代表務める山田西リトルウルフ、練習場所の確認は子どもの役割
大阪・吹田市で活動する少年野球チーム「山田西リトルウルフ」は、子どもの心を育てることをモットーに、野球を通じた人間形成に力を入れている。チームの代表を務める“おばちゃん”こと82歳の棚原安子さんは、練習時間以外でも選手の社会性を育んでいる。
週末の練習を控えた金曜日。放課後になると、おばちゃんは大忙しだ。ひっきりなしに電話がかかってくる。「子どもたちに『自分で次の日の練習場所を聞きなさい』と言っているんです」。
棚原さんは「12歳までは人間形成で一番大事な時期」と考え、子どもたちの生活態度や家庭での行動にも目を配る。電話対応も社会勉強の一つ。チームは小学1年から6年まで計130人を超えるため、学年ごとに練習場所が異なる。選手自身が棚原さんに電話で練習場所を確認し、保護者に送迎をお願いする。こうした行動の積み重ねが自立につながっていく。
高学年は、すでに電話対応を身に付けているため、棚原さんが連絡を受けるのは3年生以下のみ。それでも、50人を超える。選手が多かった頃は100人以上から電話が来ることもあった。子機と携帯電話を手にして「2人ともいっぺんに話すからよく聞いて」と、電話の“二刀流”で練習場所を伝えることもあったという。
「無償で体を動かすことが大事」自分の時間は保護者や子どものために
練習のない平日に保護者を自宅に招いて、料理教室や悩み相談をする時もある。自分の自由な時間はないが、「無償で子どものために体を動かすことが大事。それが子どものためになる」と語る。根底には、「近所のおばちゃん」として地域で子どもを育てるべきという信念がある。
チームを立ち上げて50年が経った。棚原さんが指導した選手の保護者が、子どもが卒部した後でも30人以上スタッフとして残っている。そして、全員がおばちゃんの意思を引き継ぎ、「偉そうにせず、心を育ててくれている」という。息子の徹さんも「おっちゃん兼総監督」として棚原さんを支え、チームをまとめている。
1200人以上の教え子が棚原さんの誇り。「ヤンチャして『コラーッ!!』って叱っていた子が今では立派になって。仕事して大人になって。50年を振り返るとやってよかったと思いますね」。中には、親子で棚原さんの指導を受けた家庭もある。野球を超えた“おばちゃんイムズ”は半世紀もの間、受け継がれている。
川村虎大 / Kodai Kawamura
https://news.yahoo.co.jp/articles/d122adcd206c0ec17a87466264b334af1d56d251
松井氏は現役引退前までの12年間、親を亡くすなど家庭の事情で学費に困っていたベトナムの子供たちに里親として奨学金を送り続けてきた。
松井氏の思いは約20人の子供たちに将来への希望を与えた。
支援を受けた1人の少女は松井氏のように世界で活躍することを夢見て、今も勉強を続け ている。
「松井さんの活躍のおかげで多くのベトナムの子が助かった。本当に感謝している。
お疲れさまでした」
ベトナム・ホーチミン市の女子大生、フン・ホーティ・チャさん(18)は松井氏の野球人としての区切りに特別な思いを抱いていた。
フンさんは中学生のころから松井氏の奨学金で勉強に打ち込んできた。
支援は、現地の窓口となっている日本語学校を通じて受けていたが、当初は里親が誰なのか知らされていなかった。
毎月、自分や家族の近況、勉強の内容、テストで良い点が取れた喜びをつづった里親あての手紙を送り続けた。手紙は松井氏に届けられていた。
「支えてくれた人が、有名な野球選手だと知って驚き、励みになった」。
フンさんは1年前、日本語学校側から里親が松井氏と聞かされ、感激したという。
今春からはハンバーガーショップでアルバイトをしながら、大学で英語を勉強している。将来の目標は通訳。
「米国で松井さんのような大リーガーの通訳をする機会があればうれしい」と声を弾ませた。